ネガティブ主婦の一喜一憂ブログ

基本ネガティブですが、希望をもって生きてます。いろいろと持病がありますが、最低限のお薬でそこそこの状態を保って暮らしています。動揺しやすく繊細気質な私の、病気や日々の生活の一喜一憂を綴るブログです。たまに可愛いワンコ登場☆

サングラスが見つかったそうです!

昨日の記事をアップした後、お昼頃に電話がかかってきました。

 

サングラス、見つかりました!

 

インフォメーションセンターに、映画を見ていたシアターの番号と座席を伝えておいたのですが、まさにそこにあったそうです。

 

失くしたのが月曜日の夕方。

映画が終わって1時間後くらいにはインフォメーションセンターに行きました。

 

見つかったのが、火曜日だったそう。

 

そして、連絡が来たのが昨日、水曜日のお昼……。

 

はじめは見つかった喜びが大きかったですが、失くした可能性の高い場所をしっかり話したのに、なぜ月曜日のうちに探してくれなかったのか。

 

なぜ火曜日に見つかったのに、連絡が昨日だったのか。

そんなに何件も落とし物の照会抱えているわけではないでしょう。広大なテーマパークではないのだから。

 

感謝の気持ちを持ちたいですが、大切なもので、ものすごくつらい気持ちになりながら待っていたので、なんでもっと早くと言う気持ちが湧いてきてしまいました。

 

失くしたとき、インフォメーションセンターに行った後、実は映画フロアにも直接探させて欲しいと寄ったんです。

でも、さきほどインフォメーションに連絡された方ですよね? と言われ、今のところ落とし物の報告は無いのでと返されてしまいました。

 

その時探させてくれれば、30秒で見つかったよ……。

 

落とした責任は私にあるのだし、良くないなと思いつつも、完全には感謝の気持ちを持てないでいる自分がいます。

 

できればもっと早く動いて欲しかったです。

本当に、落胆していたので。

 

土日のどちらかに、受け取りに行ってきます。

 

励ましの言葉をくださった方、ありがとうございました!!

失くしものをしました

ミニオン鑑賞

おとといは月曜日でしたが、主人は午後休をとっており、2人でミニオンの映画を観に行きました。

 

もうすぐに迫ったUSJをより楽しむべく、今まで観たことなかったミニオンを観てみようということになりました。

 

まずは先週末にレンタルショップに行き、怪盗グルーシリーズとミニオン作品を、これまでの4作全て借りて観ました。

 

予習バッチリで映画館に行き、大スクリーンで観た「ミニオンズ フィーバー」は、伏線的なことに気づけてより面白かったです。

ボブ、可愛い^_^

 

無い!

映画が終わって食事も終え、席を立った時にサングラスがないことに気がつきました。

映画を見る前に、外して首元にかけたはずが失くなっていました。

 

 

インフォメーションセンターに行き、商業施設内と映画フロアの両方に確かめてもらいましたが、届いていないと言われました。

 

書類に記入し、今後見つかれば(見つかった時だけ)連絡をしますと言われ、おとといは気を落として帰ってきました。

 

そして昨日、もしおとといの営業終了後の掃除などで見つけてくれたら、午前中のうちに電話があるはずと思いハラハラして過ごしました。

 

ほんとにしょーもないのですが、来るか分からない電話を待っているのが辛くて、在宅勤務だった主人にスマートフォンを託して、私はお昼まで寝室で横になっていました。

うつらうつらする中、悪夢にうなされました。

 

結局、今日いままで、電話はありませんでした。

 

落ち込む

サングラスはセール価格になっていたものですが、主人が買ってくれたものです。

宝くじがプチ当たりしたので、お裾分けでプレゼントしてくれました。

 

あまり眼鏡が似合わないけれどサングラスが欲しいという私に、これならいいんじゃないかと言うのが見つかり、買ってもらったものです。

 

落ち込んで落ち込んで落ち込んで、昨日の夜くらいからやっと現実を受け入れ始めました。

 

プレゼントしてくれた主人から慰められ、申し訳ないです。

代わりのものをまた買ってあげると言ってくれましたが、お断りしました。

 

悲しいです。

メガネケースを持ち歩かず、首元にかけたことを反省しています。

 

USJにはサングラス無しで行きます。

統合失調症あるある? 短期記憶力の欠如

トイレットペーパー

朝、トイレで用をたして手を洗っていると、使い終わったトイレットペーパーの芯が横に置かれていました。

 

「あれ? 私今トイレットペーパー替えたっけ?」と思いましたが、まぁ芯があるということは替えたのかもしれないと思い、捨てるために持ってトイレを出ました。

 

記憶には短期記憶と長期記憶がありますが、私は短期記憶がとても弱いです。

 

短期記憶は、例えば短時間で言葉や記号などを記憶し、すぐ後に思い出すような能力です。

長期記憶は、何年も前のことを忘れずに覚えていると言った感じ。

 

もともとはそうではなかったと思うのですが、統合失調症になって以降、この短期記憶の能力が極端に下がったように思っています。

やはりこれが、脳の萎縮とかそういった後遺症があるといったことなのかなと思っています。

 

 

主人の仕業

トイレットペーパーのお話ですが、芯を持ってトイレを出ると、主人が「ごめんごめん、替えたのに芯捨ててなかった」と言いました。

どうやらトイレットペーパー替えたのは、私ではなく主人だったようです。

 

私はてっきり、自分の記憶が瞬時に無くなってしまったのだと思っていたのですが、そうではなかったようです。

 

でも、一安心と言うわけではありません。

だって、「自分は替えていないのに芯がある。主人が替えてくれたのに、ゴミを持って出忘れたんだな」とは思えなかったのですから。

 

この短期記憶の弱さは、服薬に関しても困りごとがあります。

 

「薬飲んだ?」と聞かれても、ほとんど思い出せません。

毎日のルーティーンとして無意識に行っているような行動に関しては、なおさら。

 

自分が薬を飲んだ映像は頭に浮かぶのだけれど、それがさっきのことなのか、それとも昨日のことなのか……。それが分かりません。

 

お薬に関しては毎食後と夜と書かれたケースに入れて1週間分を管理しているので、ケースを確認すれば飲み間違えてしまうことは無いです。

それでも、とっさに聞かれると思い出せないのです。

 

そういった能力が低くなっていることは主人も把握しているので、お薬の飲み忘れがないように、いつも一緒にチェックしてくれて助かっています。

 

どうぶつの森 お手紙とプレゼント

主人と一緒に、switchの「あつまれ どうぶつの森」を楽しんでいます。

 

このゲームは、私たちプレーヤー含めた住民たちにお手紙を送ることが出来ます。

お手紙にはプレゼントを添えることも出来ます。

 

この機能で、私は毎日主人にプレゼント付きのお手紙を送っています。

主人も、ほとんどの日にプレゼント付きでお手紙をくれます。

 

私は昼間の家事の合間に遊ぶことが多く、主人が遊ぶのは夜です。

 

よく主人が夜にプレイしながら、「今日も俺からお手紙届いてた? プレゼント何だった?」と聞いてきます。

 

これは分からなくて聞いているのではなく、「喜んでくれた?」的なニュアンスです。

主人は自分が前日に書いた内容やプレゼントを覚えているうえで聞いているのです。

 

しかし昼間にプレイした私は、もうその内容を思い出せない……。

 

そのことが、まるでお手紙の内容やプレゼントを喜んでいないように思えてしまって、自分でも悲しいです。決してそんなことはないのですが。

 

すぐに忘れてしまうことを主人から責められることは無いですが、「今日のプレゼント、スペシャルなものだったでしょ!?」と言われても、「えーっと……」となってしまうのは、申し訳ないなと思います。

 

後遺症として、仕方のないことなのでしょうか。

リハビリとかは出来ないのかな……。

 

こだわり「新鮮さを分かち合う」

朝はカフェオレ

毎朝、朝食時にカフェオレを飲んでいます。

 

高いものではないのですが一応豆の状態で購入し、飲むたびにガリガリやって淹れています。

 

暖かい時期はアイスカフェオレです。

 

濃いめ少なめにコーヒーを出して、氷が入ったコップに注ぎ、たっぷりの牛乳で割ります。

 

カフェオレ含め朝食の準備は主に私がするのですが、たまに主人もキッチンをうろついて手伝ってくれます。

 

狭いキッチンだし、何かするたびに「これは何分やる?」と聞いてくるので少し煩わしいのですが、私が忙しなく動いている時にソファでスマートフォンをいじる姿を見るのもそれはそれで……。

 

なので、手伝おうと言う気が起きているのならと、感謝して準備に参加してもらっています。

 

 

古い牛乳と新しい牛乳

先日もカフェオレを淹れていると、主人が手伝ってくれたのですが。

 

2人分のコップ。

片方だけに残りわずかな古い牛乳を全て入れ、足りなかったので新しいパックを開けて継ぎ足し、もう片方のカップには全て新しい牛乳という注ぎ方をしたんです。

 

「なんで!」と言うと、主人が「何が?」と。

 

私の希望としては、古い牛乳を2つのカップに同じように注ぎ、足りない分も新しいパックから両方に継ぎ足して欲しかったのです。

 

そう説明すると、今度は主人が「なんで?」と。

 

だって、新鮮さは分かち合わないと!

 

面白い考えだね

「新鮮さを分かち合う、か。面白い考えだね。初めて聞いたよそんな考え方」と主人。

 

私はこれまでもカフェオレを淹れる際、牛乳が切り替わるタイミングではずっとそうしてきました。

 

「じゃあ俺がこっちの古い牛乳が入った方で良いよ」と主人は言ってくれたのですが、そう言うことではないのです!

 

自分が新鮮な牛乳を飲めればそれで良いのではなく、新鮮さを分かち合うことが大事なのです。

 

主人は「なんか新しい感覚を知った」と感心していました。

が、そんな珍獣に出会ったみたいな反応ではなく、共感を得たかったです。

 

がんこな天パの縮毛矯正

久々の縮毛矯正

美容院に行って、人生2度目の縮毛矯正をかけてきました。

 

以前かけてから少し経っていたので、そっか、こんなに疲れるものだったっけ? と疲労感いっぱいですが、出来栄えには満足です。

 

あまり長さは変えなかったのでカットに時間はかかっていないのですが、4時間半かかりました。

後半はもう肩から背中がゴリゴリでした。

 

美容師さんもお疲れだったと思います。

それなのに洗髪後に肩揉んでくれるなんて、神さま……。

 

 

縮毛矯正して良かったこと

ストレートヘアーがパーマヘアーより優っているものとは思っていませんが、筋金入りの天パとしてはやはり気分が上がります。

 

天パの(少なくとも私の)髪の毛は、天パでない人がわざわざパーマをかけている髪型とは似て非なるものなのです。

 

私の天パのレベルは、周囲の毛と一緒になってウェーブが出る「ちょっとしたくせ毛」とかではなく、一本一本が独立してねじれている毛が混じっています。

 

全ての毛がそうではないのですが、きしめんのように平たい毛がぐりぐりとねじれていて、指でつまんでなぞると凸凹とした感じがします。

 

そのため、全体を見たときにツヤが出にくいです。傷んでいるように見えがち。

プラス実際に傷みやすいので、髪の毛に手をかけていない人のように見えるのが悲しかったです。

 

縮毛矯正をかけることで、ねじれていたキューティクルが整います。

まっすぐが嬉しいのではなく、見た目の髪質が良くなることが嬉しいです。

 

しばらく伸ばしたら

現在の長さは、肩甲骨の上くらいです。

 

寒い時期にかけて、もうしばらくこのまま伸ばしていこうと思います。

 

半年くらい経ったらまた縮毛矯正をかけるのかなと思うので、そのときには久々にバッサリいこうかな~と考えています。

 

私はこれまでショートからボブくらいの時期が長かったのですが、またそのころの長さにしてみたいです。

ただ当時と違って縮毛矯正をかけているので、雰囲気としては違う感じになると思います。その違いも楽しみたいです。

 

私のアイデンティティである天パを否定するようで縮毛矯正を避けてきましたが、髪がツヤツヤになるのはやはり嬉しいです。

 

旅行前に髪が扱いやすくなって、美容院行って良かったです。

 

 

ご先祖様は美少年?

テレビのお話

我が家は普段、録画してある決まったバラエティー番組くらいしかテレビを見ないです。

 

見るタイミングは、決まって夕食を食べながらです。

 

ただときどき、この録画を見終わってテレビを消す際に、ちらっとリアルタイムの放送が映ってそのまま見てしまうことがあります。

 

この間もそんな感じで、意外なご先祖さまや親戚の方と何親等だとか言うことを調査する番組を見ました。

 

番組名を確認しなかったのですが、レギュラー放送されているものだと思います。

分かる方いますか?

 

それで思い出したのですが……。

 

 

戦国の美男子

実は私のご先祖様に、「森蘭丸」がいるのです。

ご存じですか、森蘭丸って。

 

織田信長の寵愛を受けた、美男子と言い伝えられる人です。

 

戦国時代、戦場に女性を連れて行くことが出来なかったので、当時はバイセクシャルの男性が多かったらしいですね。

有名武将の人たちも、普通に奥さんや子供がいる人でも、そういうことをする相手として美少年を戦地に連れて行くことがあったと聞いています。

 

そんな感じで信長に愛された、森蘭丸と言う人が私の祖先にはいるそうです。

 

若くして亡くなってしまい、直系の子孫はいなかったらしいので、その兄弟だか従兄弟だかからの血筋らしいのですが。

一応、母方の祖母の実家のほうのお寺に、家系図みたいなものがあると聞いています。

 

ホントに?

ただこのお話、ちょっと疑っているところもありまして。

 

お寺に証拠が残っているんだと祖母は言い張るのですが、祖母の旧姓は「森田」なんです。「森」ではなく「森田」。

 

時代の流れの中で「森田」を名乗る子孫も出てきたらしいのだと聞いたのですが、私も以前ネットで調べてみたことがあるのです。

 

ネットの情報によると、森蘭丸家系図を見ても、いくつかの家に分かれていましたがみんな「森」姓のままでした。

 

祖母の実家につながりそうな家系は載っていませんでした。

 

祖母の実家は、現在は昔ほどではありませんが少しお金があって、親戚づきあいも栄えている一族です。

ただこの財産は、商売で成功したお金です。

 

でも昔から大きく商売をやることが出来たと言うことは、その元手となるお金をいくらか持っていたのでしょうから、やはり由緒ある家系なのでしょうか。

 

半信半疑のご先祖様です。

 

ただ、森蘭丸の話は中学生の頃に聞いたのですが、その後フィギュアの織田信成さんが注目されるようになり複雑でした(笑)。

 

理想の声じゃない

オーディオブック

オーディオブックで名前合ってますかね?

なんかそういうのあるじゃないですか?

 

小説とか実用書とか、声優さん(?)が読んでくれて、自分で目で文章を追わなくても本の内容を知ることが出来るもの。

 

私は利用していないのですが、ラジオを聞いていたらこれのCMが入ったんです。

 

いきなり「道尾秀介…」と私の大好きな作家さんの名前が読み上げられたのでびっくりしたのですが、道尾さんの書いた小説の冒頭が少しだけ読み上げられたんです。

 

ある出版社が出しているいくつかの小説が、このオーディオブックとやらになっているらしく、そのラジオCMでした。

 

 

イケメンボイス?

このとき読み上げられた道尾さんの小説が、結構暗めのお話だったんですよ。

 

過去の罪を背負った主人公が、今でも幸せにはならず、淡々と生きていると言うか……。

年齢はたしか40~50代くらいの男性で、「自分には幸せを求める権利なんてない」と思いながら生きている感じ。

 

実際に、主人公が犯した罪は、大変なものなんですけれど。

 

その主人公の一人称で語られる小説なんですが、オーディオブックの声がいわゆる「イケメンボイス」みたいな人だったんです。

名前分からんけど(><)//

 

そうじゃないよ!

「これは違うでしょ!」と、思わずラジオを聴きながら突っ込んでしまいました。

 

学園ものとか転生ものとか、そういったライトノベルがアニメ化されたときにイケメンキャラを演じるようなタイプの声優さんの声だったんです。

ちょっと鼻にかかった感じの。

 

声フェチの私ですが、この方の話し方はこの小説の読み手として合って無いよと思いました。

あくまで、私の個人的な好みですけど。

 

大好きな道尾さんの小説、もっとしっくりする声で読んで欲しかったです。

 

この声優さんが悪いんじゃなくて、この声優さんにオファーした人のセンスね。

人気かどうか知らんけど、なんでもかんでもナルシストなイケメンキャラ声をあてればいいってわけじゃないと思う!

 

と、好きな作家さんに関してだったので、ちょっとヒートアップしてしまいました。

 

 

感謝のきもち

ありがとうございます!

先日の記事、素敵なブコメをたくさんいただいて、とっても嬉しいです^^

 

今日は久々に、主人と会社の近くでランチをしてきます。

 

あと1時間半ほどで出発するので、それまでに家事を済ませていきたいため、今から大忙しです。

 

ランチの後は、カフェで読書したいです。

家での自由時間も良いですけれど、カフェでの読書も大好きです。

 

コロナ禍になってからだいぶ頻度は減ってしまいましたが、たまには楽しみたいなと思います。

 

感染気を付けて行ってきます。

 

目当ての天ぷら屋さん、臨時休業(よくある><)じゃありませんように!

 

 

 

「友だち」なんて、深く考える必要ない

別に親友じゃないんだし

ちょっと前にラジオで、「異性の友だちってアリ?」というテーマでリスナーさんたちがメールでいろいろ言っている番組を聞きました。

 

その時のゲストが中尾ミエさんで、「私は異性の友だちしかいないくらいよ」なんて言っていたんですが、私が今日書きたいのは異性うんぬんではなくて。

 

友だちって、どのくらいのもん? というお話。

 

話の中で中尾ミエさんが言っていたんです。

 

「別に親友になる必要なんかないんだから、友だちなんて簡単に考えれば良いのよ」と。

 

 

一緒に何か楽しめれば友だち

中尾ミエさんはいろんな活動を精力的にされているらしく、そのグループグループで仲良くなって一緒に何か楽しむようになれば「友だち」なのだそう。

 

時が経ってそのグループから離れ、会わなくなることもある。途中で何となく疎遠になることもある。

それならそれで良いのだと。

 

もし離れてしまっても、友だちとして仲良く過ごしていた時間があった人、となるだけであって、そのころにはまた別の友だちがいる。

 

一度友だちになったからと言って、ずっと仲良く居続けなければいけないというルールもないのだし。

 

そう言った趣旨の考えを話されていました。

 

私にも友だち、いるんじゃん

病気になってからずっと、友だちなんてひとりもいないと思っていました。

 

何となく復活した縁があったり、何となく切れてはいない縁があったり。

そんな相手と細々と年賀状のやりとりくらいはしていました。

 

でもそんな相手にもモヤモヤはあり、ニッコリ笑って「あの子は私の友だち!」とは言えないシコリのようなものがありました。

 

やはり、つらい時期に手を差し伸べてくれた人は、それまで大切な友人だと信じていた人の中にはいなかったから。

 

何より、相手にとって私は特別大切な相手じゃないんですよね。

 

私が相手を「親友」なんだと信じようとしたところで、相手にとっては私は、決して親友ではないことが分かっている。

かつては、親友だと胸を張って言える時期があったのだけれど、今は確実にそれは過去のこと。

 

そんな数人の子たちに対して、「友だち」って言いたくないという意地のようなものがありました。

ただの知り合いだよ〜っと。

 

でも別に、その程度の付き合いでも、モヤモヤがあっても、年賀状のやりとりしてるなら「友だち」で良いじゃんってことです。

 

「親友」は居ないけれどね。

 

悲しいけれど、信じて尽くして、こちらが困ったら手のひら返されるみたいな思いはもうしたくない。

 

あなたは特別に信頼する相手。

そうお互いに思えるのは、パートナーがひとり居れば十分だと思いました。

 

あの子も、あの子も。

モヤモヤはあるし親友とかじゃないけど、まあ友だちだよ!

 

その程度で良いのだと思いました。

 

それと、気が付きました。

ブロ友さんたちだって、友だちなんだと。

 

お互いの日記を読んで、コメントしたりしてもらったり。心配してださったりアドバイスくださったり。こちらも何かを伝えたり。

 

これってけっこうしっかりした、心のやりとりしてますよね。

年賀状でいつのまにか子どもが産まれていたことを知らされる関係より、繋がってる!

 

私と好意的に関わってくれてる人、みんな友だちで良いんだ〜^_^

と、思った今日このごろです。

 

でもいつかまた、親友と思える人が出来たらいいな……、と言う希望は捨てていないです。

 

祖父のプライド

祖父のことを考える

先日の心臓手術や、8月に入ってからメディアで戦争の話を耳にすることも多く、自然と最近は母方の祖父のことを考えることが多いです。

 

戦争のこと、と言うのは、身近な人で戦争に行った人が祖父だけだからです。

 

潜水艦で太平洋の方へ出ていて、「敵の戦艦を二隻撃墜したんだ」と言う話を子どものころ聞かせてもらったことがあります。

 

祖父の方から話してきたのではなく、夏休みの宿題で「おじいちゃんやおばあちゃんに戦争の話を聞かせてもらおう」みたいなやつで教えてもらいました。

祖父に話を聞くには、緊張した記憶があります。

 

実は私は、あまり祖父とは話をしたことがないのです。

 

大人になってからこそ、帰省などした際にお土産を渡したり、敬老の日の贈り物をしたり、「じゃあ帰るね~」「コロナ気を付けてね~」なんて会話をするようになりましたが、子どものころのかかわりは実はほとんどなかったのです。

 

同じ市内に住んでいて、祖父母の家の方が学校に近かったので、週に5〜6日くらいは寄って過ごしていたと言うのに。

習い事のある日はご飯も食べさせてもらっていましたが、面倒を見てくれるのは全部祖母でした。

 

子どもの相手をしない祖父でした。

抱っこしてもらったことも、実はないんです。

 

私と姉にはほとんど関わってくれなかった祖父ですが、私たちと20歳近く離れたいとこ姉妹が生まれたころは、年を取って丸くなったのかけっこう可愛がっていました。

母と叔母が「○○たちのときはあんなじゃなかったのに、頭来ちゃうや~」「不思議だよね~、やっぱり年取ったからじゃない?」なんて、いとこが小さいころ話していました。

 

祖父の仕事

戦争に行っていた話を書きましたが、「敵の戦艦を~」と言う話を聞いたときは、それが祖父の誇りのひとつなのだなと感じました。

インタビュー宿題のなかで「もちろん戦争は二度と無い方が良い」と言い切った祖父ですが、その一方で自分は国のために戦ったというプライドが見えました。

 

まだ十代だったけれど、指令を出したりする立場だったようで、それなりのエリートだったみたいです。それも誇りのようでした。

 

子どものころに祖父とほとんど話をすることが出来なかったし、母や祖母に聞いたことも無いので、実は祖父が何の仕事をしていたのかも良く知りません。

 

小学生の頃、税金の作文で表彰された子がいてその賞状を見せてもらったら、文末に書かれている責任者(?)の名前が祖父だったことがあります。

 

中学生の頃にも、国語の先生の職員室の机に祖父の名刺が置いてあったことがあります。

先生に聞くと、「作文のことでお話に見えたんだよ」と言われました。

 

なのでおそらく、税務関連の仕事をしていたのだと思います。

年齢的にも、70歳を過ぎてもいろいろやっていたみたいですね。

 

未だに正解は知りません。

 

祖父はプライドが高い

祖父母の家には、祖父に贈られた賞状や感謝状がたくさん飾ってあります。

 

10年近く前、祖父母はそれまで住んでいた家から引っ越しをしたのですが、その前の家にも賞状は所狭しと飾ってありました。

 

それがあまりにも自慢げというか、祖母や母たちは恥ずかしいと思っていまして。でも家族の話を聞き入れる祖父ではなく、いつも文句が多く祖母たちに対して偉そうにしているので、誰も「もうあんなに賞状飾るのは辞めたら?」と言えませんでした。

 

もちろん私も、そんなことを祖父に言うのは怖かったです。

叱られた記憶とかはないんですけどね。実際、叱られたことは無いと思います。それくらい、孫のことになんてノータッチ。だからこそ、怖くてそんなこと言えない。

 

そこで、「引っ越した先には全部の賞状を飾るのを辞めて、選んだ何枚かにしたらどう?」と促してくれと言う役目が父に来ました。

 

引越しの際、高いところに賞状をかけるのは父の手伝いに任されていたので、その際に軽く促すと言う作戦でした。

しかし祖父の答えは、「全部飾ってくれ」でした。

 

もうちょっと上手く言ってよ〜と祖母と母からブーイングを受けた父ですが、「年寄りの生き甲斐だから」と祖父のプライドに理解を示していました。

 

ただ不思議なのは、祖父はプライドが高い割にはドケチなんですけどね。

 

祖父母はお財布が別なんですが、昔からお年玉とかお小遣いとかは、祖母がくれる額の半額でした。

私たちが結婚した時のご祝儀も、お返しが大変だろうからと1万円を1枚、財布から出してはだかでくれました……。

 

祖母のくれたご祝儀と合わせてと言う考えで返した内祝い(カタログギフト)は、祖父がくれた分のご祝儀より高額でしたが、普通に受け取っていました。

 

と、まあ、クセのある祖父なんですが。

 

昔は、別に仲も良くないしちょっと怖いしなんて思っていましたが、今はただ元気で長生きして欲しいと思います。

 

この間の心臓の手術や、5年くらい前にも大腸癌の手術をしたのですが、そう言った健康に関する何かがあったとき。

それと、戦争について考えさせられるとき。

 

そう言った時に、今の自分がいるのは、たくさんのご先祖さまたちが大変な時代を生き抜いてくれたからなのだなと思います。

 

平穏を願う、お盆です。