大学では特別支援教育を専攻
私が統合失調症を発症したのは、大学4年生の冬です。
大学では特別支援教育を専攻し、おもに知的障害のある子どもの教育について学んでいました。
教師になるのは、中学生のころからの夢でした。好きな先生がいて、私もこんな人になりたい!と思ったのが理由です。思春期のぐちゃぐちゃした悩みを聞いてくれたり、文章を書くのが好きだった私の書いたものを褒めてくれたり。
いつか、先生の同僚として働きたい!という期待もあって、大学は教育学部に進みました。
忙しさと緊張の日々 、そして小学校の教育実習
しかし、3年生になってゼミが本格的に始まり、小学校での教育実習もあり、忙しさとストレス、緊張の連続で、体が体調不良のサインを出し始めました。
まずは睡眠障害です。
次に出たのはニキビです。(ニキビには今でも悩まされています。)
そして小学校の教育実習を終え、重大なことに気づきます。
子どもが可愛く思えない……。
教師なりたいという夢を抱いた中学生のころ、私が見ていたのは、周りの生徒ではなく先生でした。しかし自分が教師になったら、周りの先生方ではなく、児童・生徒たちの方を向かなければいけません。
そもそも子どものころに抱えていたいろいろな悩みは、友人関係のことがほとんどです。世代が変わっても、子どもたちの中には自分のころと同じような攻撃性をもつ子や問題を抱える子がおり、そういった子たちに積極的に関わっていかなければいけません。
つまり、自分が子どものころ嫌いだったような子たちに、友好的に接しなければいけないことに気づいたのです。
人格が形成されていく大事な時期に、手本になり、力になれるような大人でいなければいけないのが教師です。
私はあの頃の先生のようにはなれないかもしれない……。
高すぎた理想と現実の乖離を実感し、将来に迷いが生じたのが大学3年の夏でした。
それでも積極的にゼミに取り組み、4年生になると教員採用試験のエントリーがはじまりました。迷いながらも、私は地元の小学校の採用試験に出願しました。
特別支援学校の教育実習
そして4年生の夏、今度は専門である特別支援学校での教育実習が始まりました。それとほぼ同時に、私は喘息を発症しました。小児喘息はなく、成人してからの発症でした。
特別支援学校での教育実習はとてもハードでした。
授業を考えることの難しさはもちろん、一番つらかったのは寝不足です。小学校の実習時も同じでしたが、特別支援学校でも毎日2時間ほどの睡眠で実習期間を過ごしました。
毎日のように微熱があり、咳をしながら授業をしました。
しかしこの実習で、ひとつ希望をもてたことがありました。それは、子供たちを可愛いと思えたことです。
意地の悪いことを言う子も、ちゃんと向き合って話をすると、一生懸命話を聞いてくれました。
クラスの中で問題が起きると、先生方がチームになって問題に対処します。小学校の実習では、問題を起こした子に一生懸命に話をしても、気持ちが通じたという実感が正直ありませんでした。一緒に実習をした同級生たちも、その程度の暴言なんてよくあるでしょ?といった姿勢でした。
けれど特別支援学校では、どんなに小さな問題も見逃さず、取りこぼさず指導していました。子どもたちも一生懸命こちらの思いを受け止めようとしてくれました。
少人数学級だからできたことかもしれませんが、ここでの教育は私の理想に近いものでした。
地元の小学校教員として採用される
このまま採用試験を受けても大丈夫、かな……。そう思い、面接では、普通の小学校にも発達障害の傾向がある子どもはいると思うし、できれば通級教室を担当したいというアピールをしました。
そして、地元地域の小学校教諭として合格通知をもらいました。
ここまでが、私が本格的に病気を発症する前段階の話です。
多忙とストレス、睡眠障害、ニキビ、喘息、そして将来への不安。
統合失調症を発症したころの経緯は、次の記事で書きたいと思います。
sentimentalover.hatenablog.com