からだからのSOS
統合失調症を発症するまで、様々な体調不良があったことは前の記事で書きました。
sentimentalover.hatenablog.com
今回は、具体的に統合失調症らしき症状が始まったころのことを書きたいと思います。
教師になることの不安
将来への不安と、実際に仕事が始まってからの忙しさに怯え、卒業するのが怖くなっていったのが大学4年生の12月頃です。教育実習中の寝不足の記憶が、とにかく私を苦しめていました。
私はいてもたってもいられなくなり、教師への憧れをもつきっかけとなった先生に、久しぶりにメールを送りました。
先生とは中学卒業後も交流があり、メールや手紙のやりとりをしてもらっていました。
しかしその先生は、私が中学を卒業したのちに海外の日本人学校に赴任しており、3年の赴任を終えてすでに日本に帰ってきていたのですが、引っ越しのごたごたがあり、相談のメールを送ったころは一時的に作ったパソコンのアドレスしか教わっていませんでした。
日本に帰ってきたらまたケイタイの番号とアドレスを教えてほしい、手紙も書きたいから住所も教えてほしい、そう伝えていましたが、返事をもらえていませんでした。
そして案の定、相談したメールの返事は届きませんでした。
恋人と別れたほうが良いと思い込む
次に私が起こした行動は、交際相手と別れることでした。
教育実習であれだけ忙しかったのだから、遠距離でこれからも続けていくなんて無理だ。そう思い込んだ私は、彼に別れたいと告げます。いろいろと引き留めてくれましたが、最終的には別れを受け入れてくれました。
このころの私は妙にアクティブで、勢いに任せた行動が多かったように思います。
当時は気が付きませんでしたが、もう十分、心は参っていたのではないかと思います。
別の相手と付き合う
彼との別れ話が進む中、私は別の男の子に告白されました。別れるのなら自分と付き合ってほしいというものでした。
しかもその男の子は大学を辞めて別の大学に入りなおす予定で、志望しているのが私の地元に近い大学でした。
近距離ならやっていけるかもしれないと思った私は、その彼と付き合うことにしました。しかしこの選択が、大きな不調を招くことになりました。
その彼との付き合いは、結局2~3週間で終わりを迎えたのですが、その間、たくさんの悲しい思いをしました。
嘘をつかれたこともあるし、人格を否定されるようなことをたくさん言われました。
お互いに良くないところがあってケンカになったとき、私も悪かったけれど正直向こうの方がそもそも問題だったのではと思いながらも、私から謝ったことがあります。「俺も悪かったよ」と言うのかな、本当なら「俺が悪かったよ」と言って欲しいなと思いながら謝ったら、「まぁ、気にしなくていいよ」と言われました。
今なら笑い話として話せますが、この時は落ち込みました。付き合っていくうちに優しいところも出てくるかもしれないと思い、いろんなお願いを伝えましたが、ひどいことを言い返され、一方的に振られてしまいました。
この時から、私の心の状態はおかしいかもしれない、と気づき始めました。
その後どんどん悪化していく経緯は、次の記事で書きます。
sentimentalover.hatenablog.com