日常から物語を切り取る
重松清さんは、私が中学時代から愛読している作家さんのひとりです。学校の先生から「好きだと思うよ」とおススメされ、何冊か読んできました。
この作家さんは、日常の中に物語を見つけるのがとても上手な方だなと思います。
殺人事件が起きなくても、物語は存在するのだと教えられました。
今回は、「哀愁的東京」について書きたいと思います。
哀愁的東京
あらすじ(ネタバレ無し)
絵本を書きたかった。作家なんて大それたものじゃなくても、恋人に特別な1冊をプレゼントできるような……。
1度だけヒット作を生んだが、40歳を過ぎて今の本業はフリーライター。絵本の新作の予定は無い。書かないのではない。書けないのだ。
東京の街で、僕は様々な人と出会い、その姿をスケッチしていく。
僕の絵本を「寂しい」と言ったかつてのヒーロー。のぞき部屋で働いていた女。僕のファンだと言う新しい担当編集者。遊園地のおいぼれピエロ。旬の過ぎたアイドル。異動する編集長。時代に取り残された作曲家。無名のマジシャン。変わり果てた同級生。引退を考える女王様。結婚するのだと言うホームレス――。
そして、離れて暮らす僕の妻と娘。
僕が出会い、見送ってきた「東京」。
印象的なシーン
悲しい記憶は、静かに薄れ、やがて忘れられていく。「忘れる」という能力を人間が授かったのは、もしかしたら、この世界には「忘れたい」出来事が多すぎるから、と神様が見抜いていたせいなのかもしれない。ものを書いて残すというのは、それに抗う罪深い営みなのかもしれない。
花を供え、線香を立てて、手のひらを合わせた。
「ごめんな……」
詫びる言葉が、唇から漏れた。
引用元:『哀愁的東京』重松清(角川文庫)
私は絵本作家でも小説家でもありませんが、こうして文章を書くことで、記憶や思いをかたちに残しています。
今この記事を読んでくださっている方も、同じではないでしょうか。
辛い記憶や悲しい記憶がいつまでも鮮明なままだったら、人は生きていけなくなってしまいますよね。
だから忘れる。
出来事として忘れられなくても、そのときの痛みは少しずつ和らいで、ぼやけていきます。それもひとつの忘れ方だと思います。
一方で、私には、他者に「私のことを忘れてほしくない」という思いもあります。楽しい記憶だけでなく、あなたのせいで私は傷ついたのだということを、深く刻み付けてやりたいという思いがあります。
私をこの一生治らない病気に追い込み、私の夢見ていた人生を奪った人たちを、私は「犯罪者」だと思っています。
体を殴ったり刺したりした人は犯罪者なのに、心を傷つけた人たちは罪に問われず、私のことをおそらく忘れ、人生をエンジョイしているみたいです。
そのことで、私はもう1度傷つきます。「どうして私だけ……」と。
時々、そんな人たちを傷つけ返してやりたいという恨みのきもちが湧いてきますが、そのきもちを抑えることが、今の自分を大切にすることとつながるのだと思い、憎しみを沈静化させています。
まとめ
書けなくなった絵本作家が、書くことを取り戻していく姿は、せつなくて苦しいです。けれどその時間が、再スタートのために必要なのだと感じました。
書くにしても言うにしても、言葉を発するということは、それが凶器となる危険も孕んでいるのだと思います。
しかし言葉は、花束にも毛布にもなります。
私も、人の心を暖かくする言葉を発する人間でありたいです。
一生をかけて、その練習をし続けていきたいです。
sentimentalover.hatenablog.com