ネガティブ主婦の一喜一憂ブログ

基本ネガティブですが、希望をもって生きてます。いろいろと持病がありますが、最低限のお薬でそこそこの状態を保って暮らしています。動揺しやすく繊細気質な私の、病気や日々の生活の一喜一憂を綴るブログです。たまに可愛いワンコ登場☆

バイトで悔しかったことを思い出してしまう

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こんな自分でも昔はバイトとかしてたんだな

いろんな方のブログを読んでいると、お仕事について触れている方々が多くおられます。

私も先日、主人の仕事のことを記事にしました。

 

私が病気を発症したのは就職を目前にしたタイミングだったので、私には職歴がありません。

学生時代にアルバイトをした経験のみです。

 

「仕事」というものについて考えていたら、当時のアルバイトのことを思い出してしまいました。

 

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友人に誘われて

14年前。大学生になったのだから、バイトくらいしないと! とは思っていたのですが、なんせ臆病者なので、電話をかけることさえできず。

無料のバイト情報誌を眺め続けて、気が付けばもう1年の秋でした。

 

そんなとき、サークルの友人から、バイト先で人手が足りなくて募集しているんだけど、だれかやらない~? とメールが回って来ました。

飲食店のホールの仕事でした。

 

勇気を出してそちらに電話をしてアポをとり、面接を受け、その場で採用してもらえました。

アルバイトの経験は無いですと伝えましたが、大学1年生だし、すでに働いている友人が紹介してくれたというのもあったと思います。ですが、一番大きな理由は、本当に人手不足だったのだと思います。

 

辛いシフト

そのお店では、10:30~15:00くらいまでの「早番」、16:00くらいから22:00までの「遅番」というかたちで勤務時間が決まっていました。

どちらか片方なら良いのですが、1時間の休憩をはさんでどちらも入る「通し」が頻繁にあり、私は土日連続で通しで働くことを要求されることがしだいに多くなりました。

 

採用の際に、「平日は授業があるので、土日を中心に働けると思う」とホールのトップの女性に伝えたのですが、はじめはどちらか片方は半日だったのが、だんだんと「土日とも通しで入ってね。そういう約束で入ったでしょ」と、長時間労働を要求されるようになりました。

土日が中心と言いましたが、両日とも朝から晩まで入るなんて説明も約束もしていません。

通勤と着替えの時間を合わせると、朝は9時に家を出て、帰宅は23時です。

 

また、ボランティアをしていたので「第〇土曜日と第〇日曜日はお休みをもらいたい」と採用のときから伝えていたのに、「シフトは固定で入るべきだ、調整するのに迷惑している」と小言や嫌味を言われ、そのお休みも取り辛くなりボランティアを休むことも増えました。

 

新しい人が続かず、入って来ず

私が働くようになってからも人手は不足していて、募集を出すのですがなかなか来てもらえず。2人ほど新しい人が来ましたが、馴染む前にすぐ辞めていってしまいました。

 

2年生の夏、車の免許を合宿でとりたかった私は、夏休みに2週間の休み(シフトとしては4~5回分)をもらいたいと、3か月前からお願いしていました。

「バイトなどをやめる際には、後任を探さなければいけないので1か月前には申し出るのが礼儀」という情報を聞いていたので、3か月も前に言えば、新しい人を本格的に探して雇ってくれるだろうと思っていました。

 

しかし、その間に新しい人は入らず。私の穴埋めは、本来厨房に居る料理人さんたちの休みを減らしてホールに出てもらい賄ったのだと言われました。

そう言ってきたホールのトップの女性は、自分自身は普段通りの「平日と土曜日、10:30~17:00」という理想的な固定シフトでしか入っていませんでした。

 

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休める日がなく、心が悲鳴を上げる

2年生の後期の時間割を作ると、平日は毎日朝から学校ということになりました。

 

さすがに土日とも通しで入るのは辛く、それぞれ早番遅番4コマのうち、1コマだけは休みが欲しいと伝えました。

 

しかし、「○○ちゃん(私を誘ってくれた友人)と相談して、どちらかが入ってくれればそれで良いけど」と言われました。友人と言うだけで、なぜか連帯責任。

そして友人はその時間帯に、趣味と勉強を兼ねた別のバイトをしており、悪いけれど入れないよ……と。(友人がこの別のバイトをしていることは、ホールのトップの女性も知っていました)。

 

「私は今後半年間、学校も合わせたら1日もお休みが無いのかな……。」

そう思うと、ものすごく辛いきもちが襲ってきて、心が真っ暗になりました。

 

辞める決心

その夜、いつもシフトが同じになり良くしてくれていたおばさんに泣きながら電話をかけ、辞める決心がつきました。

 

おばさんは、「辞めちゃうのは残念だけれど、自分のことを1番に考えないとだめだよ。わたしにも〇〇ちゃんと同い年の息子がいるから。学生さんは学業を優先して、バイトなんて二の次。お金に困っているわけじゃないんだったら、そんな辛い状況で働いてるって知ったら、親御さんも悲しむよ。子どもにそんな思いさせるために、田舎から送り出してくれたんじゃないでしょ?」と、背中を押してくれました。

 

翌日、バイト先に電話をかけ、あと1か月で辞めさせて欲しいと、泣きながら伝えました。電話越しでも、相手の不機嫌さが伝わり、とても怖かったです。

 

悔しかったこと

始めに希望した働き方を、向こうの都合のいいように言いくるめられて、長時間労働を求められたこと。

 

休みが欲しいと申し出たことに対し、できないことが分かっているのに、友人とどちらかで賄えと言われたこと。

 

私が辞めると言ってから「日曜だけでも入れないか?」などと言われたのに、やっと新しい人が入ってくれそうだとなった途端、「もう来なくていいから」と言われたこと。

 

よく寝坊をするちょっとだらしないフリーターのお姉さんのことを、そのホールのトップの女性は気に入っており、そのお姉さんとそれ以外の若い子の扱いの差が不条理だったこと。 

 

そのホールのトップの女性は経理的なことも任されており、自分が旦那さんの扶養に入るように(本当は扶養の上限を超えていたのに)、バイトの子のシフトをいじったりして1年間の勤務時間をデータ上で修正し、自分の税金をごまかしていたこと。そのことを最後まで見て見ぬふりをしなければならなかったこと。

 

嫌なお客さんがいても、こちらが謝らなくてはいけなかったこと。

 

記憶を手放せない

私の病気のせいも、性格のせいも両方あると思いますが、過去の嫌だった記憶をいつまでも手放すことができずにいます。

 

良くしてくれたおばさんと、よく一緒のシフトだった高校生の男の子が、私が辞める日にラーメンを食べに連れて行ってくれました。たまに、バイト終わりで一緒に行っていた、いつものお店でした。

 

高校生の子が「ご馳走したい」と言ってくれて、お会計は2人で払ってくれました。

私は用意していたお菓子をお礼として渡し、それ以来、おばさんとはメールを数回しましたが、2人とももうずっと会っていません。

 

こんなに素敵な人間関係まで失くしてしまったことが、1番悔しいことです。連絡を取り合うこともできたかも知れませんが、辛い記憶を思い出してしまうので、なんとなく疎遠になって時間が経ってしまいました。

 

このバイトの記憶が強く残っているので、もう1度働いてみようという勇気が出ずにいます。ただでさえ、病気があって働くことが怖いのに、この経験がより怖さを助長してしまっています。

 

でも社会に出れば、これぐらいのしがらみや苦痛なんて、きっと普通のことなんですよね。私の心が弱かったのだ思います。昔も、今も。

 

 

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