ネガティブ主婦の一喜一憂ブログ

基本ネガティブですが、希望をもって生きてます。いろいろと持病がありますが、最低限のお薬でそこそこの状態を保って暮らしています。動揺しやすく繊細気質な私の、病気や日々の生活の一喜一憂を綴るブログです。たまに可愛いワンコ登場☆

母が事故に遭った日

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昔、母が大きな事故に遭いました

私が小学校3年生の冬、母がちょっと大きな事故に遭いました。

 

朝、家族を送り出したあと、家事を終えてから祖母のお店を手伝うために車で向かっていたときのことです。

私の地元では雪が積もるのは数年に1回くらいなのですが、その日はとても寒く、夜中に降った雪が積もって、道路がいたるところで凍結していました。

 

実家は山の中の集落にあり、集落を下ったところに橋があるのですが、その橋が工事中で、両脇の手すりが取り外された状態でした。手すりのあるはずの端の部分は数十センチの段差になっているのみで、凍結した橋にスリップした母の車は、その段差を乗り越えて下を流れる川まで転落しました。

 

翌日新聞に載った情報で知ったのですが、橋から川面までの高さは14メートルと書かれていたと記憶しています。

 

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死を意識したと言っていました

母が落ちた川は、大きな川に合流する手前の崖の上流側で、水が丸く溜まっているような部分でした。不幸中の幸いで、その部分に転落した母は、骨折などはありませんでした。

 

しかし、ぶくぶくと車の中に真冬の氷水が入ってきて、どんどん沈んでいく車の中で、母は死を意識したそうです。そして助手席に私や姉を乗せていないときで良かったと思ったそうです。

 

工事中だったために手すりが無くて転落したわけですが、これも不幸中の幸いで、母が転落したときにはすでに工事をしている時間帯だったので、作業員の方たちが急いで川まで下りてきてくれて救助してくれたそうです。

工具でシートベルトを切断してくれたりして、沈んでいく車から母を救出し、救急車を呼んでくれたそうです。

 

救急車が到着したとき、母の体温は32度まで下がっていたと聞きました。

 

私は何も知らせてもらえませんでした

私と姉はこの日、普通に小学校に登校していました。

この日はスイミングスクールに通う曜日でしたが、母が迎えには来てくれず、叔母が迎えに来てくれました。しかし普段から叔母が迎えに来てくれることもあったので、私は不思議には思いませんでした。

 

一旦祖母の家に帰って、スイミングスクールのバスの時間まで、母がどこにもいないことに不安を感じながら過ごし、そして何も教えてもらえないままスイミングスクールに行きました。

帰ってきてまた祖母の家で迎えを待ち、今度は仕事を終えた父が迎えに来て、家まで帰りました。帰った家に、やはり母はおらず、誰も説明してくれず、怖くて誰にも何も聞くことができませんでした。

 

ぼんやりと、お母さんは死んでしまったのかも知れないと思ったのを覚えています。

 

母に再会したのはその2日後で、土曜日に学校が終わったあと、父に姉とともに病院に連れていかれました。母は首にコルセットを巻いていましたが、元気そうでした。

 

なぜすぐ会わせてもらえなかったのか、今でも分かりません。

そして再会した母はムスッとしていて、私は甘えられませんでした。

 

九死に一生」という言葉を覚えました

2週間入院して、母は帰って来ました。

退院後も、頭がチクチクして痛いと言って、頭皮に刺さってしまったガラスを取り除いてもらうために病院に行くことがありました。しかしそれ以外は元気で、今も後遺症などはないみたいです。

 

このころ私は「九死に一生(を得る)」という言葉を初めて、そして頻繁に聞かされました。

 

川に落ちたのが反対側だったら、もっと大きな崖で助からなかったね。

工事の人がいない時間帯だったら、そのまま死んでいたね。

あんたたち(私と姉)も一緒に乗ってたら、どうなってたか分からないね。

 

周囲の大人たちに口々にそんな話をされ、みんなが口をそろえて「九死に一生だね」と言いました。

 

なぜか、母が乗っていた車が廃車置き場のようなところに置かれているのを父に連れて行かれて見せられ、ガラスが全て割れて、助手席部分が大きくひしゃげているのが脳裏に焼き付けられてしまいました。

 

この助手席に座っていたら、私は死んでいたんだろうなと思いました。

 

その車の姿と、「九死に一生」と言う言葉、そして退院してきた母が家の中の散らかり具合に不機嫌になり「こんななら帰って来るんじゃなったよ」と言ったことが、私の中で大きなトラウマとなりました。

 

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今年のその日は、初めて無意識のうちに過ぎていました

母が事故に遭った日付は、私の中でとても恐ろしい日となっていました。

毎年その日が近づくと怯え、当日は「何も悪いことが起りませんように」と願いながら過ごしてきました。

 

それが、事故以来初めて、今年は意識しないうちにその日が過ぎていました。

20年以上たって、初めてのことでした。

 

私が病気になって実家で過ごしていたころにも、この事故のあった日付に父が、

「あっ、今日はなーんの日だっ?」と、茶化して言ったことがあります。

母はすかさず「くだらないこと言っとるんじゃないよ」と言いました。

 

私だけでなく、父も母もこの日付のことは気にしているんだなと思いました。

 

それにしても、父は人間性を疑うような発言や態度をたびたびします。祖父母の命日などは忘れて何もしないのに、こういったことは言い出すんです。本当に嫌です。

 

なんにしても、なぜ今年はこの日付を気にせずに過ごすことができたのか分かりませんが、嫌なことが「気づいたら過ぎていた」と言うのは、良いことじゃないかと思いました。

 

ちなみに今日は、母の誕生日です。おめでとうとラインをしました。