あれから10年
東日本大震災から10年ですね。
ここ数日、「節目の年」みたいな表現をテレビなどのメディアで目にしましたが、この10年と言うのを境に、だんだんと追悼する媒体が減っていくのでしょうか。
先日、原発の被害に遭った方がインタビューで、「”震災を忘れない”なんて言うけれど、そもそもまだ分かっていないことがたくさんあるのに」と言っていたのが印象的です。
海外では、飲食店で使用する食材について「この食材は日本産ではありません」と言うことを、安全性のアピールとして表記しているところもあるらしいですね。
義援金
以前、SMAPの「SMAP×SMAP」と言う番組がありましたが、震災以降、この番組の最後は必ず義援金を募るメッセージが流されていました。
震災から数年たってもこのメッセージは流され続け、私は「このメッセージの止め時がわからなくなっているんだろうな」と、嫌な考えをもっていました。
例えば1年、3年、5年といったどこかのタイミングでこのメッセージを流すのをやめたら、「被災者の人たちの生活はまだ元に戻ってなんかいないのに」と批判を受けてしまったのではないでしょうか。
でも永遠に義援金を募り続けるというのも、どうなんだろうと思ってしまう。その間に、大小あれど他にも災害は起きているのだし。
もしSMAPが解散せず、今でもSMAP×SMAPが放送されていたら、11年目からの放送でも変わらず義援金を募っていたのでしょうか。止めても止めなくても、いろんな意見がありそうです。
そうなるともう、純粋に被災者のためではなく、番組や局のイメージをどう維持していくかという商業的な意図が出てしまうのではと考えてしまいます。
この番組を通して寄付をした方も多いはずなので、もちろん意味のある活動だったとは思います。
心を病んだ人は
毎年、3.11の話題が取り上げられるたびに私が思ってきたのは、精神疾患のある人はどう過ごしてきたのだろうと言うことです。
震災の前から精神疾患があり被災した人は、どうやって震災のあとを過ごしたのでしょうか。
震災によって心を病んでしまった人は、どんな思いで堪えていたのでしょうか。
私だったら。
薬が手に入らなくなり、お医者さんにも見てもらえず。そして、しんどいきもちを周囲に訴えても「みんなつらいに決まっているでしょ!」と。
乗り越えられたでしょうか。
「震災関連死」という考えがありますよね。
震災そのものの被害ではなく、震災に関連して亡くなった方。例えば、自死とか。
家やふるさと、大切な人を亡くしたり、心を病んでしまった人にとっては、「節目」なんて言って欲しくないのではないかなと思いました。
傷付いた心を無視して、「もう10年なんだから、いい加減さぁ……」と、元通りに過ごすことを強制されるみたいで。
私は被災者ではないので、こんなことを思ってもひとりよがりですが。
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