昨日はつらつらと書いただけの記事しか出せませんでした。結局、記事を書いた後にお昼まで二度寝してしまいました。
でも少し回復できたと思います。
今日は、普通って何だろう、普通になりたかった、こんな普通じゃないものが欲しかった……という思いを書きたいと思います。
アーティストの半生
好きな作家さんやミュージシャンのエッセイやインタンビューなどを読んでいると、あまりにも自分と違って空しくなることがあります。
幼いころから創作活動を行っていたり、生まれ育った家庭環境だったり、デビューに至るまでの生活。デビュー後の華やかな活躍。
才能があって羨ましいと純粋に思うし、努力してきたことや度胸がすごいとも思うし、なんだろう、ため息が出てしまう。
「凡人ではない人生」を生きる人たちを見ると、私の何がいけないのだろうと考えてしまいます。
普通でいたい
「中二病」とか言う言葉もありますけど、中学生くらいのころって、自分は他人とは違うんだぞ! みたいなことに酔いしれたいお年頃ですよね。
でも私はそうではなかったと思います。
「天然」や「不思議ちゃん」を装って、個性個性って必死になっている子に嫌悪感をもっていました。
親の離婚をもちだして、「不幸自慢」に酔いしれ、「相談」や「悩みを聞いて欲しい」と言って意中の相手の気を引こうとする子も見てきました。そういった方法で頼られたら相手も答えるしかないし、不幸自慢を利用してライバルを出し抜こうとする子がとても卑しく見えていました。
私って変わってるでしょ。
私って可哀そうでしょ。
周囲の子たちが、必死に刹那的な雰囲気を作ろうとしているのが嫌だったんです。
私は、中学生くらいまで、同い年の相手には話が通じないと思っていました。
精神的な話とか、抽象的な話題について「話が通じた!」という感覚を得られなかったんですよね。
「ホントだね」「同じこと思ってた」「私はこう思ってるよ」。そんな言葉を期待してした話の返事が、「ふーん」とか「良く分かんないw」とか。
このころの心のよりどころは、以前から書いている、教師になりたいと思ったきっかけの恩師でした。私の書いた作文をとても高く評価してくれた人。
生意気だなんて笑わずに、私の話を聞いて、心に届く返事をしてくれた人。
同じ次元で話ができる、同じ年頃の相手が欲しかったです。
そして頻繁に不安定になる心が、もしかしたら周囲とは違うのかなと思い始めていたころ。
だからこのころの私は、「普通」を望んでいました。
統合失調症って、普通じゃないよな
精神疾患にかかり、手帳は申請していないけれど「精神障害者」と言う立場になり、これって「普通の人」は経験しないことなんだよなと思う。
主人なんかは、私の不安やパニックの感情をそっくりそのまま同じように感じることはできない、と断言します。
病気じゃない人間には、その感情は生まれないから分からないんだよ、と。
普通に学校を出たら、普通に就職して働きたかった。
結婚したなら、いろんな悩みに苦しまずに、子どもが欲しいと言える大人になりたかった。
普通って何だろう
欲しくなんて無かった「普通じゃないもの」を得て、才能とか、そういった憧れるような「普通じゃないもの」は得られなかった私です。
マイナスなものではなく、プラスなものが欲しかった。
これは私の努力不足なんだろうか。
病気に苦しまずに普通の生活をしている人は、どんな努力をしたんだろう。
普通とは違う才能を持って活躍している人は、なぜその才能を与えられる人間として選ばれたんだろう。
普通でありたい「健康」と、普通以上のものが欲しい「才能」。
就職の経験が無く専業主婦をしている私が、今後活躍できる場所なんてあるんだろうかと考えると、悲しくなります。
病気と言う、嬉しくない「普通じゃないもの」をもっているのだから、才能みたいな、嬉しい「普通じゃないもの」も獲得したい。
何を頑張れば良いんだろう。
私はまだ何者にもなっていないから、これから何にでもなれるんだ!
そう思って過ごすけれど、自分から進み始めないと、「何か」の方からはやってきてくれないんですよね。