動物は機械?
動物は、言葉を話せないし、人間みたいに複雑なことを考えられません。
だから、「動物は、よくできた機械である」という説をとなえた人がいました。
あなたは、この意見に賛成ですか? 反対ですか?
今日は、哲学のお話をしたいです。
テーマは「動物の心」。
例によって、図書館でこんな本を借りてきたんです。
「10代の哲学さんぽ」というシリーズの、ティーンズ向けの本です。
タイトルは『動物には心があるの? 人間と動物はどうちがうの?』。
デカルトの主張
デカルトと言う名前、聞いたことがありますか?
「我思うゆえに、我あり」という言葉を残したのが、17世紀に活躍した哲学者・デカルトです。
冒頭に書いた、「動物はよくできた機械」と言ったのは、このデカルトです。
古代より、哲学者たちの間では、魂の生まれ変わり「輪廻転生」が信じられていました。
「道端で吠えている野良犬の心は、私のご先祖かも知れない」
「あそこで飼われている豚の心は、私の友人かも知れない」
そういったことが、人々の間でも信じられていたそうです。
しかしこれを信じていると、食べるために生き物を殺したり、人間のために働かせたり、檻に閉じ込めておくこともできません。
ここで支持されたのがデカルトの説です。
「人間は堂々と自分を自然の主で支配者だと認めるべきだ」
「動物はたんなるよくできた機械だ。動物は神から心を与えられていないので、何の感情も考えももたない」
こう説いて、人々に、動物に心があることや、魂の生まれ変わりを信じるのをやめさせたそうです。
この説により、生きた動物を使ってさまざまな実験をすることが可能になり、科学や技術は飛躍的な進歩を遂げました。
動物にも心はある
デカルトの主張は、学者たちにとって都合の良いものとして支持されましたが、みんながみんなそう考えていたわけではありません。
16世紀の政治家で文筆家・モンテーニュは、
「人間が自分を動物より重んじるのは、ばかなうぬぼれだ」
「動物がわたしたちのいうことを理解できないのではない。わたしたちのほうが動物のことをわからないのだ」と述べています。
17世紀の寓話作家・フォンテーヌは、動物たちの賢い習性や知恵を例に挙げ、
「これほどまでの知恵をもつ動物たちは、あるていど考えることだってできるはずだ」と言いました。
フォンテーヌは『北風と太陽』や『アリとキリギリス』などを書いた人です。
「すべての道はローマに通ずる」という言葉を残したのも、この人です。
動物の権利
心ある哲学者たちは、
「(動物たちに)良心や言語がなく、善悪の区別がつかないからと言って、動物を守らなくていい理由にはならない」と主張しました。
大切なのは、動物が痛みも喜びも感じると言うこと、そして幸福を愛し、酷い扱いを受ければ苦しむ存在だと言うことだと説きました。
「もし私が別の人間を傷付けてはいけないとしたら、それはその人に理性があるからではなく、痛みを感じる存在だからだ。そして痛みを感じるのは、動物も人間も一緒だ」
こう言ったのは、かの有名な18世紀の哲学者・ルソーです。
『レ・ミゼラブル』で有名な19世紀の作家・ユゴーは、動物実験に反対する団体を率いて、1850年に、フランス最初の動物愛護法を成立させました。
動物は痛みを感じる
哲学の長い歴史のなかで、デカルトのような主張もあり、さらに野蛮なかたちでデカルトの主張を受け継ぐ哲学者もいました。
一方で、動物にも心があり、痛みを感じるのだと動物を愛護する主張をするルソーのような哲学者やユゴーのような作家もいました。
哲学者たちの間だけでなく、一般の人々の間でも、さまざまな考えがもたれてきました。
現在、動物に危害を加えても、日本の法律では「器物損壊罪」、つまり動物をモノとして扱いますよね。
それでも、動物に危害を加えてはいけないことは、法律と言うかたちで守られていることにはなっています。
私は、種によって程度の違いはあれど、多くの動物には心があり、幸せも安らぎも、痛みも苦痛も感じると思っています。
しかし、私たちは食べるために動物を殺し、栄養をもらっています。
様々な実験に動物を利用し、医療などでその恩恵を受けています。
哲学は「この問題の答えはコレ」と、簡単に言えない学問ですよね。
だから、考え続けて行くことが大切だと思いました。
皆さんは、どういったお考えをおもちですか?
参考書籍:『動物には心があるの? 人間と動物はどうちがうの?』 文=エリザベット・ド・フォントネ 訳=伏見操 (岩崎書店)
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