ズーラシアの記事を続けてUPしているところですが、ちょっと違うことが書きたくなったので、今日は日常で考えたことの記事を。
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夜はトーンダウン
これまで何度も繰り返している、「夜になると元気なくなるシーズン」。
再びと言うか、もう三たび、四たび、五たび…、十たび、百たび?
不定期的にそういう時期があるのです。
いろいろ夜の過ごし方を考えて、工夫はしてきているんですけれどね。
最近だと、飲み物を淹れて、21~22時は集中して遊ぶ時間とする!とか。
やってみてはじめは充実していたんだけれど、だんだんと魔法が解けるように気持ちが覚めて動けなくなってしまいました。
以前だったら、ウォーキングに行く!とか。
でも今は、夜に出歩くことを楽しみに感じられない。
昼間だったら「これをして遊びたいな~」と楽しみに感じられるもの、読書とか雑誌を読むとかゲームをするとか。
そういったことが、「こんなことしてて何のためになるんだろう」と虚しく感じてしまって。
「単なる娯楽なんだから、楽しんだりリラックスすればいいだけじゃないの!」と、前向きな気持ちで出来なくなってしまうのです。
私、可哀想だよ
たびたび陥ってしまうのが、「私って可哀想」という思い。
22歳から34歳って、世間の人たちは何を楽しんでどんな経験をして生きている時間なんだろう…と。
仕事をはじめて、仕事を覚えて、出世したり、自分でお金を稼ぐと言うことを知る時期。
自由に使えるお金が増えて、学生の頃とは違った買い物や遊び方が出来るようになる時期
結婚したり、子どもが生まれたりする人もいる時期。
私は…。
主人が傍に居てくれて、結婚こそしたけれど。
主人のおかげで、金銭的には不安のない生活を送れているけれど。
人間の一生の中で、とてもアクティブで輝かしい年代に、何もできずに混乱した悲しい心を抱えて泣いていた私は、可哀想だよなと言う思いが出てきます。
「そんなことないよ」と慰められても全く嬉しくない。いやいや、どう考えてもつらいでしょうと。いい加減な励ましをしないで欲しいと、不快に感じます。
「そうだよね、つらかったよね」と、私の可哀想だった過去を現実として認めてほしい。
でも誰に? それって意味ある?
夜、自由時間を楽しめないでいると、だいたいこの考えに捕らわれてしまいます。
今ある幸せに気づく
「私って可哀想」思想が出てきてしまったときに、これではいけないと思い直すための考え方が、「今ある幸せに気づく」ということ。
このことを思い出したからと言って、すぐに心が晴れたりはしないのだけれど。
それでも定期的に、「今ある幸せ」を思い浮かべるようにしています。
安心できる家があって、美味しい食べ物があって、ちゃんとした医療を受けられること。
主人が傍に居てくれて、こんな何もできない私を優しく強く支えてくれること。
家族が今日も元気なこと(もちろんアリスちゃん含め)。
昔よりもだいぶ回復したこと。
他にもいろいろ。
多くの他の人たちが持っていて、私が持っていないものは確かに多い。
でも、私は私で、大切なものを持っています。
最近の元気のない夜は、「元気がない自分、というのを見つめすぎて、そのことにさらに落ち込まないこと」と考えるようにしています。
「あぁ、今日も楽しく過ごせそうにない」と落ち込む前に、「もう今日は寝ちゃおう」と歯を磨くことにしています。
この気分低下は波があるはずだから、きっとまた夜にいろいろ遊びたくなるシーズンが来るはず…、と思ってやり過ごせたらと思います。