糸井重里さんの言葉
糸井さんの『ボールのようなことば。』という本を読みました。
その中に、こんな言葉がありました。
原爆が落とされたおかげで戦争が終わった、
などという理屈が、
ちょっとでも正しく聞こえたとしたら、
「それはもう、とてもおかしいことなんだよ」と、
ぼくは言いたい。
いや、仮にその理屈が正しいとしたって、
ぼくは正しくない側にいるつもりだ。
それ、私が思ってたこと
エッセイや詩などを読んでいて思うことを分類すると、
①分かる、刺さる
②あまり響かない
③それ、私が思ってたこと!
のどれかです。私の場合。
上に書いた糸井さんの言葉は、まさに③だったわけです。
①のように、言われてみて「そうだよな」「いい言葉だな」というレベルではなく、読む前から私が考えていた事とおんなじじゃん! という喜び。
小学生のときに、社会の授業で原爆のことを習いました。
習う前から原爆のことは知っていましたが、どういう歴史の中で原爆が落とされ、その後の日本がどうなったか(終戦を迎えた)と言ったことを教わったわけです。
そして、それについてどう思うかみたいなことを、クラスで共有しました。
すると、居たんですよクラスの中に。
歴史の漫画とかが好きで、新聞とかも読んでいるようなしっかりした男の子だったんですけれど。
「原爆が落ちたから戦争は終わって、必要なことだった」みたいな発言したんですよ。
その授業は、いつも穏やかな教頭先生が受け持ってくれていた授業でした。
みんながどう考えたのかは分かりませんが、先生はこの考えを否定せず、ひとつの意見として黒板に書きました。
人が死ぬ必要?
私は全く理解も共感も出来なくて、彼をモンスターだと思いました。
私の中では原爆なんて落とされなかった方が絶対に良かったし、戦争だって大反対だというのは今も昔も変わりません。
戦争や原爆によって亡くなった人たちのことは、世界レベルの政治としての話ではなく、ひとりひとりの命の話として考えるべきだと思っています。
たったひとりでも、こんなふうに命を落としてはいけないと思います。
大人になってもこの考えなのは幼稚だと言われるかもしれませんが、あんな風に苦しんで亡くなっていった人たちの人生を、歴史の上では必要な流れだったのだみたいに言ってしまうなんておかしいと思うんです。
政治に関しては不勉強なので良くわかりません。
世界の動きや国ごとの立場だとか、そう言ったこともよく分かりません。
でも良く分かるようになっても、かつての同級生のような考えをする人間にはなりたくないです。
今年こそ、戦争が終わって欲しいと思います。
核兵器が使われたりすることなく、終わって欲しいです。