人によって違う
ペットロスの本に書いてあったことですが、ペットロスで辛いのはペットが亡くなってしまったそのこと自体の悲しみだけでなく、周囲との気持ちの差を感じることも大きいと。
ホントにそうだと思います。
そもそもの、ペットの命というもの全体を軽視している人はたくさんいて、ふとした時に「自分にとって大事なコ」が「しょせん動物、しょせんペット」という扱いを受ける羽目になり、そのことが何とも言えない悲しみに感じます。
悔しいです。
そういう考えに出会ってしまったときは、「この人は、ペットが命をかけて教えてくれたこの大事な気持ちを知らないんだな」とか、そんなふうに思うようにしています。
そして、「こういう人の命に何かあっても、私は形式上のお悔やみしか出来ないかもな」と、その人とのこれからの関係を良く考える機会になっています。
近しい人ほど
家族や近しい人とペットの命に関する感覚が違うと、尚更この悲しみは大きいです。
その人の性格や、ペットとの物理的・精神的な距離感など、そういったものの違いで、悲しみのレベルや回復のスピードも異なります。
分かり会えないだろうと思っていた人の「やっぱりな」と思う言動に直面したり、分かり合えると思っていた人が全然違う感覚だったり、似ているようで違うんだなということがあったり。
主人が私と近い感覚でいてくれることが救いです。
ペットが天国に行ってからもやってあげられることはたくさんあって、それはペットのためだけでなく残された人間のためであったりするのだれど。
お骨と毛を入れたキーホルダーを作りました。

主人は「ありがとう」と入れました
この中に小瓶が入っていて、二重で安心な作りです。
今までは実家に帰らないと会えなかったけれど、今はいつでも一緒だし、ペット禁止の場所にも連れて行ってあげることが出来ます。
上手に生きられたら
「ペットを見送ると、人は生き方が変わる」と言うことが本にも書いてありましたが、ホントにそんな感覚があります。
私の心の中で、確実に以前とは何かが変わって来ています。
何が大事なものなのかとか、今までしていた我慢に意味はあったのかとか、いろんなものに感謝の気持ちを感じたり。
身内でも他人でも、分かり合えない人に真剣に向き合う必要はないんだなとか。
俯瞰的な角度から、こういった気持ち・考えを感じています。
感じているというか、悟ったというような落ち着いた感覚で、新しい心がからだにスッと入ってきたイメージです。
アリスちゃんが私の中に入ってきたのかな。
アリスちゃんは、お客さんにはひとりひとり丁寧に挨拶をして愛想を振りまき、しつこく触る人からは上手にすり抜け、大好きな人には大好き光線をバンバン出して喜び、他所の犬に吠えられると無言で見てみぬふりをするコでした。
アリスちゃんが私の心の一部になってくれたなら、今よりもっと上手に生きられるようになるかも。