ネガティブ主婦の一喜一憂ブログ

基本ネガティブですが、希望をもって生きてます。いろいろと持病がありますが、最低限のお薬でそこそこの状態を保って暮らしています。動揺しやすく繊細気質な私の、病気や日々の生活の一喜一憂を綴るブログです。たまに可愛いワンコ登場☆

執着を手放す:卒アルを捨てようと思う

Sponsored Link

本当の断捨離とは…

今では普通に聞く言葉となった「断捨離」ですが、いろいろと本を読む中で、「大がかりな片づけ」を指す言葉では無いのだと分かってきました。

 

断捨離は、捨て活でも片づけでもありません。

 

目に見えるモノを捨てることで、そのモノに関わる「執着を手放す」こと。

 

たとえば、ただのごみクズで散らかった汚部屋。

家主も掃除しなくてはと思いつつ、面倒で散らかしていただけの部屋。

その部屋を思い切って掃除してゴミ出しをしても、それは断捨離では無いのです。

 

たとえ部屋がそれなりに片付いていたって、本棚の中に、昔勉強したけれど諦めた資格試験のテキストがズラッとおさまっていたら。

もう活用することは無く、視線に入ったときもあまり気分のいいものではない。

 

捨てたい気持ちと、捨てられない気持ち。

 

その迷いの中にある、「頑張った過去の自分」「叶えられなかった目標」「これから目指すものは何か」といった自分の気持ちに向き合い、これからの自分が広々と生きていくために手放すのが断捨離です。

 

テキストを、もう今の自分には「ゴミ」なのだと判断する。

そして、テキストにまつわる執着とともに手放す。

 

断捨離は、精神的な活動なのだと、だんだんと分かってきました。

 

私にとっての卒業アルバム

断捨離の提唱者・やましたひでこさんの書籍を読んでいて、私の執着、捨てたいという迷いがありつつ捨てられていないモノって何だろうかと考えました。

 

捨てるという行為は、街のルールに従ってゴミ出しすれば済む話です。

でもそれが出来ない。なぜなら執着があるから。

でも心の中には「捨ててしまえたらなあ」という願望がある。

 

心に浮かんだのは、中学・高校の卒業アルバムでした。

 

 

学生時代の友人が、今でも本当に大切な人だという人はもちろんいると思います。

ものすごく羨ましいです。

地元に残って、同級生と一緒に地域のお祭りとかに参加している子の話を聞くと、私もそういうコミュニティで生きていきたかったという寂しさが湧きます。

 

でも私は、かつての同級生たちのことを思うと、あまり楽しい気持ちにはなれません。

もちろん、同級生たちみんなが、私の心の重りになったわけではありません。

 

でも、どちらかと言えばプラスだよくらいの気持ちになれる、傷つかずに思い出せる友人が50人居たところで、大きな苦しみや恐怖の元になる存在が5人も居れば、それはもう毒なんです。

 

先生も含めて。

 

卒業アルバムの後ろの方には、メッセージを書き合うための白紙のページがあると思います。

私も当時、いろんな人に書いてもらました。

 

今では思い出したくない存在になってしまった人より、今でも嫌な思い出に変わっていない人が書いてくれたメッセージの方が何倍も多いです。

だからこそ、申し訳ない気持ちもあって処分できませんでした。

 

そして、誰が決めたわけでもない社会通念みたいなものも…。

卒アルを捨てるって、なに?病んでるのw みたいな…。

 

いじめとか、受けていたわけでないですよ。嫌な思いはいろいろしたけど。

今どういう関係になったかは置いておいて、友だちもいっぱいいたし、親友と呼んでいいと思っていた相手も数人は居ました。

とても充実した生活をしていた時代だと思います。

 

ただ、私は病気になって、そうなると付き合いが変わったり、相手に求めてしまったものが返って来なくてその人の本心を知ったり。

 

なんとな~く楽しいね! では付き合えるけれど、もっと大事で大変な場面でもそばに居てくれる人だったのかと言うと、違ったんだなと偶然知ることになってしまったんです。

 

病気になったのは大学の終わりごろでしたが、大学に入ってからも親交のあった中学・高校での友人たちとも、病気のせいでだんだんと物理的&時間的距離が出来てしまいました。

 

それでもただ会えていないだけで、私の中では大切な相手たちだったのです。

 

けれど人生のステージが変わっていく中で、私のことを向こうは「格下げ」したんだなという場面に遭遇することが続きました。

 

とても悲しかったです。

 

悲しみと恨みと恐怖と、過去の栄光や努力。

卒業アルバムは、私にとってそれらの象徴であると気づきました。

 

手に取って、幸せな気持ちになれるものではないのだと、認めざるを得ない…。

 

次の帰省で持って帰って来ます

卒アルは今、実家に置いてあります。

 

向こうで、親に捨てておいてと頼んだら(ゴミの回収日に持って行ってもらうように頼む必要があるので)、「なんで卒アルなんて~」と母に言われるに決まっています。

 

父は、私が捨てておいてと頼んだものを勝手に袋から出して、隠してとっておいたりする人だから、そういうことをするかも知れません。

 

私の考えの説明も説得もしたくないし、捨てて欲しいという約束を裏切られて怒りたくもありません。

 

親には、私の経験した苦しみを自分事のように想像して、私の執着に寄り添うことは出来ません。

なので、こちらに持ち帰って来て自分で捨てます。

 

個人情報とかあるんで、ぐるぐる巻きにして。

私の感情もアルバムから溢れて来ないように、ぐるぐるにぐるぐるに巻いてやります。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

執着。

執着って、深いですね。

 

今までの片づけは、こんまりさんのメソッドに影響を受け、「ときめくかときめかないか」というモノサシで考えてきました。

 

それはそれとして、今後も持ち続ければ良いモノサシだと思いますが、ここに「執着」も加えるのが良いなと思ってます。

 

今の自分には「不要・不適・不快」。

じゃあ、なぜ手放せないのか?

 

そのモノを大事に扱っているのか、そのモノにまつわる記憶をどう扱いたいのか。

 

コツコツ手放して、少しづつでも良いから、自由な気持ちを得たいです。

今の私はもう、自由なはずですからね \(^^)/