ネガティブ主婦の一喜一憂ブログ

基本ネガティブですが、希望をもって生きてます。いろいろと持病がありますが、最低限のお薬でそこそこの状態を保って暮らしています。動揺しやすく繊細気質な私の、病気や日々の生活の一喜一憂を綴るブログです。たまに可愛いワンコ登場☆

最近、病気のことを深く考えていない気がする

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どこかボーっとしている

毎日のようにブログを更新していると、今日は何を書こう……と暫く停止してしまうことがあります。まさに今もそんな感じで、最近はどんな内容を書いていたのかなと記事を確認してみました。

 

私は記事にいくつかのカテゴリーを付けていますが、「私のちょっと聞いてよ」というカテゴリーの比率が、最近多いんだなと気づきました。このカテゴリーは、いわば雑記のようなものに付けているカテゴリーです。

最近の私は、雑談ばかり書いていたようです。

 

ブログを書き始めたばかりのころ、すぐに作ったカテゴリーは「私の考える私の病気」というものです。自らのこれまでの症状や、病気に関しての主張と言うか思い、そう言ったことを綴った際に付けるカテゴリーです。

 

実体験に重きが置かれた内容のときには「私のツライの記録」というカテゴリーを選ぶこともあります。

 

コイツらの登場頻度が、最近少ないみたいです。

あっても、はてなブログは複数のカテゴリーつけることができるので、1番メインのカテゴリーとしては選んでいなかったりする。

 

つまり、ここ最近、自分自身の病気のことを深く考えていないのだと思います。

「私の伝えたい病気にまつわる情報」というカテゴリーは書いていますが、こちらは一般的な情報が中心です。私自身の辛さからは、少し距離を置いた感じで書いています。

 

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これは良いことなのかな

自分の病気のことを深く考えていないということは、ボーっとしてるということだと思います。それなりに集中したり取り組むことはあるけれど、「人生」とか「命」とか、そういった壮大なものについて思考を巡らさない。

 

自分の心の底にある、将来への不安や不満を見なかったことにして、目の前の生活のことを考える。「私は一生治らない心の病気なんだ」と、病気にまとわりついている様々な不幸について考えない。考えが浮かんでも、掘り下げない。

 

これは意識的に行っていることではなく、なんとなくここ最近のブログを見て、「私、最近病気のこと考えてないな」と、まさに今気づいたことです。

 

自分では、地に足が付いていないような感覚があるのですが、病気について深く考えないというのは普段からお医者さんに言われていることです。

「難しいかもしれないけど、考えこんじゃいかん。なるようになるって思って、病気のことも、他のことにしても、深く考えこむのはこの病気に良くない」

 

意識しているわけじゃないけれど、最近これを守れているってことだろうか。

 

いろんな不満や主張は普段通りある

毎日の生活で、不満に思うことや、それに対する自分の主張ははっきりもっています。ただ、なぜか病気に関してだけは、ボーっとしているここ数週間。

 

全部の思考回路がぼやけているわけではないけれど、病気に関しては、ふわふわしています。

「私はこんな病気になって可哀そう」「私って可哀そう、不幸」。そういった、目の奥がぎゅーんと重くなる悲しみの塊がやってく頻度が、最近は少ないかもしれない。

 

悲しくなったり、パニックになったりという感情の波は頻繁にあります。

ただそこから、病気そのものに考えを巡らせることが少ない。

伝わり辛いですかね……。でもそんな感じなんです。

 

ブログが役に立っているのかな

ブログで後悔や怒りなどのマイナスな内容を書いても、書き捨ててお終い! ではなく、自分なりにオチを付けるのが癖になってきているように思います。

「今後こうしていかないとな~」とか、「でも〇〇には感謝」とか、そういった終わらせ方をした方が良いんじゃないか、と少し頑張って明るい〆にしようと思っているところがあります。

 

やっぱり言霊ってあると思うし、本当は不満に対して口では罵詈雑言を吐いていても、それをブログにするときにはちょっと体裁を整えています。

そして、コメントやブックマークでいただいた反応に対しても、「私も~~しなきゃいいけませんよね」と、建設的な反応を返す。

 

そうすることで、本当はもう少しドロドロしている自分の日々の思いが、ぱきっと固まって、過ぎた出来事になっていっているのかも知れません。

 

誰にも発信できなかったり、主人しか話を聞いてくれる人がいない中で悶々と抱えていた液体状のものが、ブログにすることで固体になって、みなさんに読んでもらうことで置物になって、コレクションされていく感覚です。

そしてその置物を棚に飾ったり、見えないところに閉まったりすることで、「もうこのきもちは私の中から出て行ったんだ。完成したんだ」という感覚になる。

 

そんなふうに感じました。

 

感情には波があるので、またドロドロの不幸や涙が溢れて来ることがあると思いますが、その都度、文字にすることでドロドロを固めていきたいと思います。

その作業を繰り返すことで、ドロドロが溢れる頻度が、減っていってくれるのではないかと期待しています。