落ち込み
最近ちょっと調子が良くないです。
1日通してずっと不幸な気分なわけでは無いのですが、考えてもどうにもならないことに囚われている時間が多いし、小さなことにパニックスイッチが入ってしまう頻度も高いです。
年齢的な、女性としての身体のこととか、そもそもの病気のこととか。
仕事をしたことがないこと、これまでの人生で何も成し遂げていないみたいな無力感、毎日の生活のむなしさ。
「今ある幸せ」に感謝できなくなっている状態です。
お手紙はまだ書けず
先生へのお手紙、5月前半にあちらからお返事をもらい、今は私が書く番です。
しかし何も書けずに、2か月以上経過しています。
次こそは、病気のことを書く回だと思っています。
けれど何も書けないでいます。
最近、アドラー心理学を漫画でかる~く紹介しているものを読んでいます。
まだ読みかけですが、「原因」を語ることに意味はないというのがアドラー心理学の考え方だそうですね。
例えば、病院に行って、どうしてその不調が出ているのか説明されても体はラクになりませんよね。
改善する方法を教わったり、お薬を出してもらいたいですよね。
原因には何の意味もない。
これまで、病気のことを先生に伝えるには、その経緯も説明しなければと思ってきました。
しなければという気持ちと、経緯を知ってもらいたいという気持ちの両方がありました。
けれどそのせいで、結局は何も伝えられない時間がただただ過ぎてしまいました。
「統合失調症という病気です。」
それだけでいいのかも知れないと言う気持ちが湧いてきました。
そう思ったかと思えば、やっぱり知ってもらいたいと思ったり……。
揺れております。
ちょっとまだ、お手紙に書きたい内容はまとまりません。
私の今と、他人の人生
先生へのお手紙のことを考えると、先生が今の私の年齢のころは何をしていたか、ということを考えてしまいます。
34歳のころの先生は、海外の日本人学校に赴任していました。
大きな夢を1つ叶えている最中だったのですよね。
子どももすでに2人、男の子がいました。
数えてみたら、お兄ちゃんの方は今年から社会人なのではと思います。
あと数年もすれば、先生はおじいちゃんになったりするのでしょうか。
そのころ私は何をしているのか。考えてしまってそして落ち込むという流れしかないのに、思考は操れません。
雑誌を読んでいても、テレビを見ていても、自分と年齢の近い人が出るたびに、その年齢で何をして生きているのかと言うことを考えてしまいます。
立派過ぎる成功者を見るのは、くすぶっている人間にはつらいです。
役者さんのインタビューとか。
小説を読んでいても、作家さんの略歴を見て「○○歳でデビューか」「○○歳で△△賞を獲っているのか」なんて考えてしまいます。
他人と自分を比べて自分の現実に苦しむという、最も悲しい思考に陥りがちです。
反対に、病気の人や大変な思いをしている人の状況を知って、優越感に浸ったり安心したりと言うことはないんですけどね。
そういうことで安心するようになったら、ちょっとヤバいかなと思います。
大変な状況にある人のことは、純粋に応援したい気持ちや、ラクになって欲しいと言う気持ちを持てています。
そう思えているうちは、まだ大丈夫でしょうか。
大人になれない私の気持ちを置き去りにして、健全に人生を進めている知り合いや、同年代の有名人の話を知ることが怖いです。