ネガティブ主婦の一喜一憂ブログ

基本ネガティブですが、希望をもって生きてます。いろいろと持病がありますが、最低限のお薬でそこそこの状態を保って暮らしています。動揺しやすく繊細気質な私の、病気や日々の生活の一喜一憂を綴るブログです。たまに可愛いワンコ登場☆

死ぬ前には逢いたい人

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朝が来ても悲しい

前日に嫌なことがあったり、夜にパニックになったりしても、最近は朝が来ればきもちがリセットされています。

良い意味で、朝はきもちがボンヤリしているんです。

 

けれど今朝は違いました。

朝目が覚めた時から、昨夜のことを思い出してきもちが沈んでいます。

 

昨夜、私は主人に「先生にもう一生会えないのかな」という話をしました。

先生とは、私が教員を目指すきっかけになった中学時代の恩師のことです。

 

海の向こう

恩師には、中学を卒業する際に連絡先を教えてもらい、高校に入ってからもメールや電話などで近況報告をしたり相談に乗ってもらったりしていました。

 

しかし私が高校2年になる年、恩師は海外の日本人学校に赴任してしまいました。

3年間です。

 

当時はスマートフォンは無く、日本で契約していた携帯電話は解約することになり、「落ち着いたら必ず連絡するから」という言葉をもらって、私は恩師を見送りました。

 

2か月後、恩師は約束通り、あちらで開設したパソコンのアドレスから私の携帯にメールを送ってくれて、関係が再開しました。

住所も教えてもらい、海外に居る3年間、私が大学1年を終えるまで文通が続きました。

 

連絡が途絶えて

そして3年の赴任期間を終え、日本に帰ってくるというとき、また1度連絡が途絶えることになります。向こうで開設したパソコンのアドレスが使えなくなるからでした。

 

「日本に帰ってケイタイを契約したら、また連絡するから。ひとまず、新しく作ったフリーメールのアドレスを教えておくね」

そういって、恩師はbiglobeのアドレスを教えてくれました。

 

待っていれば、落ち着いたらまたケイタイで連絡をとれるようになる。それに今回は、向こうへ行ってしまったときと違って、フリーメールのアドレスがあるから大丈夫。

私はそう思って、連絡を待ちました。

 

4月になってもなかなか連絡は来ず、恩師の誕生日が来たので、私は教わっていたアドレスにおめでとうのメッセージを送りました。

しかし、返事はありませんでした。

 

愛知に戻った恩師と、横浜の大学に通う私は顔を合わせることもなく、その後も連絡は来ず、忙しい大学生活の中で私もそれ以上メールはしませんでした。

 

そして卒業間近、私は調子を崩し、3年近くぶりに恩師のbiglobeのアドレスにメールをしました。

教師になることの恐さについて、先生に話を聞いて欲しかったのです。

しかし、やはりこのアドレスでは返事が来ませんでした。

 

私の病気の症状はどんどん悪化し、統合失調症を発症し、なんとか大学を卒業して愛知に帰りました。

採用をもらっていた地元での教員の職は、辞退することになりました。

 

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また手紙のやりとりをしたい

今の私の状態で、恩師に会うのは恐いです。

けれど、「約束したのに、先生になれなかった」という話はしたいと思います。

 

また先生とお手紙のやりとりをしたいです。

この思いは年々強くなっています。

 

地元はとても田舎で、学校も多くないので、恩師の名前などをインターネットで検索をかければ、現在の赴任校がどこかという情報はつかめるかもしれません。

 

学校が分かれば、学校の住所宛てにお手紙を出すことができます。

 

しかし、調べてももし赴任校がつかめなかったら。そう思うと恐くて調べられずにいます。

 

実は10年近く前に1度調べたことがあるのですが、その当時で2年前の情報として恩師の名前を見つけたことがあります。

学校の先生には授業研究(研究授業?)というものがあり、自分の専門とする教科の
授業を行い、他の先生たちが観察し、指導を受けたりということがあります。

その授業発表者として、近隣の小学校の情報に恩師の名前が載っていました。

 

このときに思い切って、その小学校の住所で手紙を出していたら、恩師のもとに届いていたかもしれません。もし次の学校に異動になっていても、他の先生が連絡をしてくれたりして、ちゃんと手元に届いたと思います。

 

でも、当時の私はとても自分の状況について手紙なんて書けませんでした。

 

今は。

今でもまだ、自分の状況を手紙に書くことは難しい気がします。

 

けれど、また連絡をとれるようになりたいというきもちの方は、どんどん強くなっていきます。

応援してもらったのに、教師を諦めたことをちゃんと話したい。

病気のことも、いっそ話してしまいたいきもちもあります。

 

その気持ちが爆発して、昨夜主人に「先生とまたお手紙がしたい」と打ち明けて泣いたのです。

 

恩師はこの4月で、50歳になるはずです。

あと10年経ったら退職してしまうんだと気づき、焦りが出てきました。

 

このまま2度とご縁が戻らず、連絡をとる手段を失ってしまうのは避けたいです。

けれど、もし調べても居場所が分からなかったらと思うと恐い。

そして居場所が分かっても、本当にこちらから手紙を出す気になれるかが分からない。

 

そもそも恩師は、私のことなんて思い出さずに過ごしていると思います。

突然手紙を出して、重い話をされたりしたら引かれてしまうかも知れません。

 

行動して可能性が絶たれるより、可能性はあると思いながら何もしないでいるほうがマシで、だらだらと長い年月が経ってしまいました。