詐病
今読んでいる貴志祐介さんの小説、『辻占(つじうら)の女』。
読みかけなのですが、主人公がうつ病です。
ネタバレありなので、ご注意を。
では。
主人公の女性は漫画家なのですが、今はスランプでうつ。
そんな状態の資産のある妻を、夫が陥れて、財産を奪って別れ、別の女性と良い思いをしようとします。
いろいろな裏切りに気づいた主人公が、逆に夫を罠にはめるのですが…。
ここで出てくるのが「詐病」。
病気ではないのに、病気であるように周囲や医者を騙すことです。
そうです。
精神疾患なら、出来てしまうことです。
幻聴を仕立て上げられて
もう少し踏み込んで話してしまうと、夫は主人公に対して、「幻聴」が聞こえているように偽装します。
ある仕組みを利用し、主人公だけに聞こえる「不吉な声」を作り出して流し、うつ病を患っている主人公の状態が悪化して幻聴が起っているように騙すのです。
それを信じてしまった主人公は、どんどん精神的に追い詰められます。
しかし、途中でトリックやたくらみに気づき、それを逆手に取ります。
自分を裏切り騙していた夫を、主人公が殺害してしまうのです。
そして夫が偽装していた自分への幻聴を逆に利用し、「殺人に対する責任能力が無い状態」だったとして、無罪を勝ち取る。
と、今はまだ読みかけでこの辺りまでです。
夫の浮気相手である女は幻聴が罠であったことを知っているので、主人公は本当は責任能力があるとして、行動を起こそうとします。
デジタルで雑誌の連載を読んでいるので、残りのページ数が分からないのですが、もう少しで読了かと思います。
こんな感じの話なんですけど、「精神疾患×詐病」のパターンですか、という感じです。
どうしてこういう話を書くのか
スリルのある話で、モヤッとする部分はありながらも、引き込まれてこれまで読んできました。
しかし、どうして貴志さんはこういった話を書こうと思ったのでしょうか。
「精神疾患×詐病」は単なる小道具で、面白いトリックだと思ったからでしょうか。
それとも。
現実に起きている悲惨な事件の犯人たちが、「精神疾患により責任能力なし」となることへの、問題提起でしょうか。
実際、多いですよね。
最近も…。
そういった社会的なテーマへの、メッセージなのでしょうか。
因みに、私の大好きな道尾秀介さんの小説でも、「精神疾患×詐病」が関わっているお話があります。
道尾さんも、なぜその小説を書いたのでしょう。
「嘘つき」と言われているみたい
統合失調症の当事者としては、やはり思うところがあります。
精神疾患を理由に、悲惨な事件の責任を問われない現在の法律に怒りを抱く世間の人たちの気持ちは分かります。
この法律を利用して、詐病で責任を逃れようとする犯人も、実際居るのでしょう。
私も、殺人というほどの事件を起こして、精神疾患を理由に罪に問われないというのはおかしいと思います。
犯人より、遺族を大切にするべきです。
けれどこういった小説たちは、「精神疾患は嘘で作り出すことが出来る」というメッセージも持ってしまっていることを、作家さんたちは気づいているのでしょうか。
悲惨な事件というレベルでは無くて。
精神的な病を患い、休職を申請したり福祉を利用したりする人に対して、「甘えでしょw」と言う考えを持っている人がいますよね。
「うつって甘えなんでしょ?」
「サボりたいから、大げさに言ってるんでしょ?」
「みんな大変なことがあっても頑張ってるんだよ」
詐病。
本人の主張次第で精神疾患は作ることが出来る、というメッセージを出してしまうことが、こういう考えにつながってしまっていると私は思います。
自分の苦しみを、「大げさ」「嘘つき」「サボり」…、そんなふうに言われているような気持ちにもなってしまいます。
実際つらい時に、そう言った扱いを受けて症状は悪化しましたから。
複雑です。