怒りを表現すること
先日のブログで、最近読んだ本の中に
「怒りを特別に表現しなかったグループと、攻撃的なスポーツをしながら怒りを表現したグループで、数か月後に比較したところ、怒りを表現したグループの方が怒りの気持ちが高いままだった」
という実験結果があると言うことを書きました。
怒りに限らず、自分の感情の中でぐんっと強い反応があるものをブログなどに書いてしまうと、その感情に捕らわれ続けてしまうのでないか、と私は思いました。
なので、毎日の更新をやめてみようということにしました。
毎日何か発信しようとすると、いろんな感情を言葉にし過ぎてしまいますからね。
整頓して書こうとしてしっかり思い出し、それを文章にすることで、もや~っとしていたものがガチっとした感情になってしまう感じがします。
このことを踏まえて、実は先週めっちゃイラっとすることがあったんですけど、あえて書かないでいるんです。
今までなら
先週あるお店で、店員さんにおかしいでしょと思う対応をされたので、こうじゃないんですかと質問したら、さらに失礼な対応をされました。言っていることも矛盾しているし、絶対におかしい、と今でも思っています。
と、まぁ、出来事としてはふんわり書いてしまいましたが、今までならあらすじをしっかり書いていたと思います。
今回はそういった記事を書くのをやめてみたのです。
しっかりあらすじを書いたら、「こんなムカつくことあった」「私、間違ってないですよね」「共感いただけますか?」って、そう言うことになりますよね。
書くためには、自分の中の記憶も再度鮮明になります。
読み返した時にも、鮮明さが戻ってきます。そして形に残る。
今までは自分の考えをアウトプットすることで、自分の中からその怒りが発散されていくイメージだったのですが、本に書いてあったことを参考に、今回はそれをやめてみます。
読んでいただいた方から「それはおかしいね」「嫌な思いをしたね」って共感してもらえないことに「ん~」という気持ちはありましたが、それでも1週間ほど堪えてみました。
書かなかったことで、気持ちはどうか
書いた場合と書かなかった場合でどう違うかは比較できませんが、今回は書かないという選択をし、とりあえず怒りは薄れてきた気がします。
ただ数日間は怒りがぶり返してイライラしたり、悔しいと思ったりしました。
お店の本部にクレームをつけて「それはおかしい対応です。申し訳ありませんでいた。指導しておきます」とかいった言葉をもらったらどうか、という妄想をしてみたり。
他のことをしていても、不安定な気持ちになって、頓服薬も頻繁に飲んでしまいました。
主人は一部始終を知っているので、一緒に怒り、共感してくれました。
しかし何日間もこのことに捕らわれている私に、「まだ言ってるの?」という反応もされ悲しかったです。
主人(身近なリアルの知り合い)には怒りを表現してしまいましたが、ブログには書かないと言う判断をした今回のこと。
良かったのか悪かったのかは、やっぱり分からないです。
ただ、今現在はずいぶん落ち着きました。
我慢して怒りを抑えるのではなく、本心から、怒りが短時間でおさまって昇華できるようになれたら良いんですけどね。
感情コントロール。先は長い…。