暗黙のルール
私の通う精神科は、順番待ちをする際、開く30分前にホワイトボードがドアの前に出されます。
私はたいてい平日の午後に行くのですが、開くのは15:00です。なので14:30ごろになると、看護師さんがドアを開けてボードを置いていきます。
早い患者さんは14:00ごろから並び始めます。
並ぶと言っても多くの人が車でやって来るので、すでに止まっている車を見て「自分は○番目だな」と思いながら車の中で待つと言う感じです。
そしてボードが出るとぞろぞろと車から降りて、周りの人の様子を伺いながら「私が最初ですよね」「お次は私ですよね」と言った表情で確認し合って順々にボードに名前を書きます。
少ないときは2、3組、多いときは7~10組くらいがこの時点で待っています。
ほんのたまにこのルールを無視する人がいて、あとから来ていたのにさっさと名前を書こうとする人がいます。
悪意があって横入りをしているわけでは無いみたいですが、そういう人が現れると「みんな順番に待っていたんだ。あんたは後でしょう」と注意する人(なぜかたいていがおじいさん)が現れます。
そんな怖い言い方しなくてもという気持ちと、言ってくれて有難いと言う気持ちの両方を持ちながら私はそれを眺めます。
注意され「はぁ?」みたいに怒る人は見たことがなく、「あぁ、そうなんですか。すみません慣れていなくて、知らなくて」みたいにみんな謝ります。
「初めて来たって、順番に待っていることくらい分かるでしょう」と、正義感おじいさんが一喝し、順番を抜かそうとした人(なぜかたいていがおばさん)は気まずそうにぺこぺこします。
そういったやりとりを見ていると、みんな私より元気で落ち着いていて、健康そうに思えてしまいます。
そして開くまでの30分、車の中で休む人もいれば、近くのコンビニに行く人もいるし、私のようにすぐそばにあるしまむらに移動して時間をつぶす人もいます。
はじめの頃は
このボードのシステムは、私が病院に通い始めた12年前からあったわけではなく、途中から始まりました。
はじめの何年かは、15:00になるまでひたすら待っていました。
病気の症状が酷かった時ほど待ち時間は苦痛だったので、この順番待ちは大事でした。
ホワイトボードが出るようになって、順番待ちの苦痛は少し和らぎました。
ほんの30分弱ですが、しまむらをうろうろする時間で少し解放されます。
しかし稀に、この車の中でみんなの順番を把握しながら待つという暗黙のルールを守らない人がいます。
先に到着している車があっても、車から降りてドアの前で待ち始める人が居るのです。
そういう人が現れると、ちょっとちょっと!という感じで、他の人も列を作らざるを得ません。
もちろん、先頭は後から来たのにドアの前を陣取った人です。
車の中で待つのは明確なルールではないので、これをされてしまうとみんな注意もできず、仕方なく並んだ順になってしまいます。
徒歩で来る人も少しはいて、そういった人は入口横のベンチに座ったりして待っているのですが、いきなり並ぶ人はベンチにいる人のことも無視してドアの前に並びます。
初めて来院してルールを知らないとかではなく、態度からして確信犯だと思っています。
そういう人がいる日に遭遇してしまうと、嫌な気分になってしまいます。
順番を譲る
これはもう10年くらい前になると思います。まだ、ホワイトボードが導入される前のことです。
病院に私が到着するのはかなり早めが多く、その日も1番乗りでした。
何台かの車がその後やってきましたが、みんな車から降りずにいつものように順番待ちをしていました。
そこに、ボサボサの髪の毛で顔を隠した、当時の私と同じくらいの年頃の女の子が歩いてやってきました。
その子は周囲に目もくれず、ドアの前に来てしゃがんでしまいました。
そして15:00になってドアが開くと、やはり我先にと1番に入っていってしまいました。
それを見た車の中の私は、「順番!」と言いましたが、母に「あの子きっとすごく調子が悪いんだよ。譲ってあげよう。大丈夫、お母さん一緒にいるんだから待てるよ」となだめられました。
正直、その頃の私はまだ全然大丈夫なんかじゃなかったし、順番を一つ抜かされただけで「順番が〜」と軽くパニックになってしまう状態でした。
しかし不満に思いながらも、私は母に病院に連れてきてもらっていて、あの子は1人で来ているんだなと思うことで、しょうがないから譲ってあげようと自分を納得させました。
周りの車から降りてきた人たちも、その子のことは咎めませんでした。
今もし、そういう調子の悪そうな人が現れたら、そんなにつらそうなら仕方がないかと自分から思えると思います。
ものすごくつらかった頃の自分のことを思い出し、過去の自分に優しくするように、今つらい人に優しくしてあげなくてはと思います。
ルール違反やマナー違反の人は別として、その程度の譲り合いは心が健康な人にとっては普通のことかも知れませんが、そんなふうに思って「待てる側、譲れる側」になれたのは、私にとっては大きなことです。
こんなことを思い出して、私は良くなってきたんだなと思いました。
失った若さも時間も取り戻せないし、今でも頻繁につらい気持ちやパニックになるけれど。
今の私は、感情の波の中に、ゆったりした気持ちで過ごせる時間も確かにあります。
このことを幸せだと思いたいです。