ken's bar in cinema
おととい、映画館で堅ちゃんのこれまでのライブ映像を編集したフィルムを観てきました。
私がまだライブに行くようになる前の、若いころのステージも観ることは出来るけれど、既存のものを繋ぎ合わせただけだよなぁと言う、少し冷めた気持ちもありながら観に行きました。
ですが、一言で言えば感動しました。
やっぱり圧巻の歌唱力だし、大好きな曲たちは改めて聴いてもとても良いものだし、ライブ映像の中に映ったお客さんのノリや感動している人たちの表情なども含めて、心が震えました。
そろそろ、充電期間は終えるつもりでいてくれるのでしょうか?
来年からの活動に期待です。
寝ているところに
おととい堅ちゃんのライブ鑑賞から帰って主人と言い争いをしてしまい、体調不良と心の不調が重なって、昨日は1日とてもグロッキーでした。
夕方に爆睡してしまっていたのですが、大学ゼミの同期からメールが来て、さらに沈んだ気持ちになってしまいました。
久しぶりに先生方と同期で会って、新年会でもしませんか? と言うお誘いでした。
誘ってきたAくんは、私が病気で仕事に就けなかったことを知っているのですが、向こうは向こうでいろいろ大変なことがあり、卒業後2度ほど一方的に電話をかけてきたことがありました。
2度目の電話から10年くらい連絡を取っていなかったのですが、なんだか今はとても出世しているらしくて。
Aくんは卒業後教員になりましたが、いろいろあって数ヶ月で退職し、その後しばらくして、別大学の大学院に入り直したと言うところまでは以前聞かされていました。
今もその特別支援教育の分野に身を置き、そしてとても立派な肩書が付いていると。
そんな立場になったからって、みんなで会いましょう!って。
私はもちろん不参加です。
だってその集まりで声がかかっているメンバーの一部は、私の病気が酷くなる原因になった人たちだもの。
以前に電話かけてきた時も、私は混乱のまっ只中だったし、今回も連絡してきて欲しく無かった。
ご丁寧に、今のAくんの活動が見られるURLまで貼って。
相変わらずタイミングの悪いヤツ。
天然で無神経だったけれど、悪いヤツでは無かった。
でも正直、私の方が研究分野での出来は良かった。
今や彼は専門家として出世していて、私は未だに病気でこんな何もしない人生を歩んでいることが悲しい。
もちろんAくんは努力したんだろうけど。
実は、いろいろあったときに彼も心の調子を崩し、双極性障害と言われて病院に通ってるだなんてことを言っていたんです。
確かに、電話をかけてきたときは2度ともとてもテンションが高かった。躁状態だったのだと思う。
病気はもうどっかに飛んで行ったのでしょうか。
もちろん病気の話は嘘では無かっただろうし、私とは似て非なる病気だけれど、あんたバイタリティあって、元気じゃん!って言う…。
何かを頑張ることはすごいけれど、頑張るためには心と体が健康じゃないと取り組めないのだから。
彼の心の傷は、ここまでリカバリーできるくらいの浅さだったのかな、なんて思ってしまった。
勝手に同じように苦しんでいるのかと思っていた相手が、めっちゃ活動して立派な立場になったよって、そんなこと一方的に知らされると言う。
完全なるヤキモチなんですけれど、なんだ、精神科に通ってるとか当時は言ってたけど、そんなに元気だったんかい、と。
そんなふうにモヤモヤしている自分を支配しているものが、醜い嫉妬であるのは自覚していて、あーやだなって言う1日でした。
忘れる
一夜明けて、今日もまだモヤモヤです。
でも昨日メールを読んだ後、主人に気持ちを聞いてもらったからだいぶ回復しつつあります。
心を乱すものとは、距離を取るしかないんです。
だって、彼が今どんなに出世してイキイキしていても、新年会に誘われた他の人たちが今どんな暮らしをしていても、私の何かが変わるわけじゃないもの。
ひとごと。
私の安全が脅かされるわけじゃないし、私が何か嫌なミッションを科せられるわけでもない。
相対的に、相手と自分を比べてしまうから、自分のことが悲しくなるだけ。
相手のことを気にしなければ、今はもう遠い人たちに何が起こっても、私の絶対値が揺らぐわけではない。
まあ、出来れば連絡なんてして来てほしく無かったのだけれど。
来てしまったものは仕方ない。
知ってしまった情報は仕方ない。
あとは、私がどれだけこの暗い思いたちを手放せるか。
Aくんとは、みんなで何回かディズニーにも行ったし、旅行もしたし、ドライブに連れて行ってくれたこともあるし。
確かに楽しかった思い出があるのだけれど。
ドリカムの歌の歌詞に「悲しみが、人との距離を広げる」というものがあった。
そうなんだよね。悲しいけれど。バイバイ。