オードリー・ヘップバーンの晩年
読者登録させていただいている方が、先日オードリー・ヘップバーンについて書かれていました。生い立ちや晩年のユニセフの活動について。
私はオードリーの出演作品は、『ローマの休日』だけ観たことがあります。
数年前、祖母に付き合って、地元の文化ホールのようなところで、市のイベントとして上映された際に観に行きました。
お客さんはほとんどがお年寄りで、そのためか、みんな観ながら喋る喋る……。
オードリーが髪を切ったシーンでは、おばあちゃんたちが「あー」と、その可憐さにため息。コミカルに転ぶ登場人物が居れば、どこか遠い席のおじいさんが大声で「ヒャッハー」と叫ぶ。(本当に「ヒャッハー」とはっきり言いました。)
なんだこの空間はと、ビビる私。
そしてエンディングが近づいたとき、祖母が母に向かって「これって、最後はああしてこうなるんだよねぇ」と結末を語る。「シー!」と母。
私、初めて見たから結末知らなかったのに、まさかのネタバレ。
家庭でクイズ番組観てるんじゃないんだから! と言いたくなるような、ある意味思い出深い体験でした。
そんな、多くの人を魅了し続けるオードリーですが、その晩年はユニセフ活動に専念されたんですよね。なんとなく聞いたことがありましたが、先日書かれた方のブログを読ませていただき、「こんな人だったのかぁ」と知りました。
もし、大金持ちになったら
私は10代のころ、「途上国に学校を作りたい」という、淡い夢を抱いていました。ただしその条件は「大金持ちになったら」。
宝くじが当たったら何を買うかとか、それに似た、捕らぬ狸の皮算用的なやつです。現実のものとして、そういった活動に関わる仕事に就きたいと思っていたわけではなく、あくまでも、大金持ちになったら。
学校の先生になりたいと思っていた私は、途上国の、勉強をする環境に恵まれていない子どもたちの情報をテレビなどで見て、少なからず関心をもっていました。
自分のすべてを投げ出してそういった国に飛び込む勇気はないけれど、もし何かで大成功して大金を手に入れたら、途上国に学校を作る活動に使えたらいいなと。
ぼんやりとですが、そんなことをたびたび想像していました。
ですが、もう10年以上、先日のオードリーの記事を読ませていただくまで、そんな小さな野望を思い出しもしませんでした。
先生になれなかったからかな
その理由はきっと、私が教師になる夢を諦めたからです。今からでもなることができるのではと思われる方もいるかも知れませんが、私は教師という職業に、憧れ以上の恐怖を抱いてしまったので、今後目指すことは無いと思います。
教師になることが恐くて病気になったし、病気になったから教師になれなかったし、教師になれなかったから絶望感で病気はひどくなったし。
「学校」に関する話題を避けて生活するようになり、きっとそのために、「途上国に学校を~」の野望と言うか、妄想と言うか、それも消えてしまったのでしょう。
自分のことで精いっぱい
今の私は、自分が生きることで精いっぱいです。自分が生きていくために主人が必要だから、自分と主人に関係することしか関わらない。あとは実家の愛犬。そして他の家族のことを少々。
コロナはほぼ関係なく、誰かと会食をするようなこともありません。
ただただ、平穏に。
収入がなく、精神力も体力もない今の私では、誰かのために活動するなんて言うことは難しいです。経済的支援はもちろん、ボランティア的なことも。
学生時代、障がいのある方へのボランティア活動を精力的に行っていましたが、思い出すと恐ろしい。
アルバイトなんてもっと恐い。よくあんなことできていたなと。
学校に通っていたことさえも恐い。すべての活動が、思い出すと「無理~、恐い~!」と言った感じです。
いつか、自分の心の安定が揺るがないものになって、他人のために自分のもっているものを分けてあげられるときなんて、来るのだろうか。
今はただ、自分と、ごく限られた近しい人のために生きています。
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