久々の映画
昨日、映画『梅切らぬバカ』を見てきました。
(ネタバレは無しです)。
自閉症の成人男性と、そのお母さんの物語です。
障がいのある人が大人になって、地域の中でどう生きていくかと言うお話。
「良いお話の押し付け」みたいな感じじゃないのが、とても良かったです。
障がいでも病気でも、世間には、当事者もいるし無関心な人もいて、嫌悪感を持つ人もいて協力的な人もいる。
誰かとの出会いや何かをきっかけにして、気持ちが変わっていく人もいるし、変わらない人もいる。
そういったリアルが、さらっと描かれていました。
この映画を見て「こう感じて欲しい、コレが正解という」という決まったものは無いと思いました。
「あなたはどう思いますか?」
そう問いかけられたような気持ちです。
大学時代を思い出す
私は特別支援学校の教員免許を持っています。
病気に押しつぶされて、教師になる夢は叶いませんでしたが…。
大学時代は応用行動分析学を学んで、けっこう本格的なゼミで臨床研究とか保護者支援とか、積極的に活動していました。
学会にも論文を提出したり。
ボランティアのサークルにも2つ所属し、地域の障がい者の人たちの余暇支援と言うことで、レクリエーションを考えて運動をしたり、お出かけのサポートをしたりしていました。
夏休みには泊りの旅行もしたりして、人によってはトイレやお風呂の介助なども。
とても濃い活動をしていた4年間でした。
なので、教育とか障がい者への支援とか差別とか、そういった問題には今でも感度が高いように思います。
映画を見終わった後は、自分がかつて頑張っていたこと、これから頑張っていきたいと思っていたこと、悔しかったこと…、といろいろ思いにふけってしまいました。
サークルのお母さんが話していたこと
大学時代のボランティアサークルで、自閉症の女性のお母さんが話していた言葉を思い出しました。
大学には知的障がい児・者の支援を目的としたサークルがいくつかあったのですが、新入生が集まりやすいのは、対象者が小さな子たちのサークルでした。
教員を目指している人が入って来るので、ある意味当然だったかもしれません。
私は主に、地域の年長の障がい者の人たちを対象としたサークルと、付属の特別支援学校の卒業生からなる自分たちとほぼ同年代の人たちを対象とした2つのサークルで活動していました。
しかし私が4年生のときには、私たちの代の学生が卒業したら存続が難しいというほど、ほとんどのサークルで学生が減ってしまいました。
中でも、1番大きく歴史のある、年長の障がい者の人たちを対象としたサークルは大変な状況になりました。
学生とお母さんたちで、どうやって学生を増やしていくか会議を重ねましたが、その中であるお母さんが話してくれた言葉を今でも覚えています。
「学校を卒業したら、そこからの人生の方がずっと長い。だからこそ、教員を目指す学生さんには、成人している障がい者と関わってその生活を知ってもらいたい」
何もできないまま卒業
いろいろと対策を考えましたが、学生の人数は増えないまま大学を卒業してしまいました。
「小さい子が対象のサークルしか興味ない」と言う学生も少数いましたが、それ以前に、障がい者を対象としたボランティアサークルに参加しようと言う学生が減ってしまったというのが1番の原因と感じます。
特別支援教育コースの先生方にお願いし、その分野の授業の最後に時間を貰ってサークルの紹介と勧誘をさせてもらいましたが、なしのつぶてでした。
キミらは何のためにこの学科に入ったの? と呆れるほど、打っても響かない子たちばかりでした。
その状況を打開できないまま、私は病気になってしまい、卒業して逃げるよう地元に帰ることになったので、その後どうなって行ったのかは分かりません。
誰かと連絡をとって今の状況を聞く勇気はないのですが、また意欲のある学生たちで盛り上がってくれていないだろうか…、と思っています。
障がいのある人への支援は、「我慢して嫌なことをしている」のではありません。
ご家族の方々の思いには到底及びませんが、苦労だけでなく達成感や楽しみを持って活動していました。
映画『梅切らぬバカ』に出てきた、お隣に越してきた男の子のような人が増えたら、もっと暮らしやすい社会になるのではと感じました。