よく聞く、あのコップの水の話
久しぶりに、認知行動療法だとか考え方のクセだとか、メンタルトレーニング系の本を読んでいます。
こういう内容の悩みは、たぶん私の永遠のテーマなのだと思います。
で、よく聞くコップの水の話あるじゃないですか?
「まだ半分もある」と思うか、「もう半分しかない」と思うか。
まだ半分あるって考えようよ! という教訓、なんだかなぁと思っちゃうんです。
そういうことを言ってくる人や本が、どうやったら本心からそう思えるようになるかのヒントまでくれたことって無いんですよね。
そう考えた方が良いんだから! って言ってくるけれど、本心からそんなふうに思い込むことができない性分だから悩んでいるわけです。
そして現実でそういうことを言ってくる今までに出会った人って、自己肯定感がやけに高くて、逆にもうちょっと謙虚になったり反省したりしなよと言いたくなる人が多かった。
でも今読んでいる本には、ちょっと違う角度のことが書いてありました。
事実をちゃんと知る
認知行動療法とポジティブシンキングは何が違うのか、という話題でコップの水の例が出たのですが、「まだ半分もある」は単なるポジティブシンキングだと。
ここで大事にしたい認知行動療法の考えは、「コップの水が半分ある」と、現実をニュートラルに捉えることだと書かれていました。
もしすでに失ってしまった半分の水が、単なる浪費であったなら。
その人は「もう半分しか残ってないぞ」と自分を戒めることで、残りの半分を大切に使うことにつながると書かれていました。
この内容、とてもしっくり来ました。
しかしこのお話の続きを自分で考えて、どうしたものかと悩んでしまいました。
もしコップの水が、その人ひとりのものではなく、何人かで分け合わないといけない水だったら。
浪費した本人でありながら「まだ半分あるって考えなきゃ!」と言ってくるタイプの人間に振り回されて、「私は大事に少しずつ水を飲んできたのになぁ」と不満を抱えるような10代前半を過ごしました。
今でも当時の不満を思い出してやりきれなくなることがあるし、このころの人間関係でつらかったことをズルズルと思い出してしまいます。
なので、自己肯定感のやけに高い人、自分の失敗をまっさきに自分で許してあげるようなポジティブさんが苦手です。
そして今でも、「あなたは誰よりもお水を節約して使ってたよね。私は見てたよ」と言ってくれる人を求めてしまいます。
みんなどうしてるんだろう
学生時代の不満とか、いまだに引きずってる大人ってどれくらいいるんですかね。
たぶん多くの人は、嫌な時代があったけれど、あのころの人間関係から解放されて良かった! と今を生きているのでは無いでしょうか。
少なくとも私の周りに、いつまでもこんなモヤモヤに振り回されている人はいないです。
まぁ、今はほとんど人付き合いをしていないので、母数が少なすぎるかもですが。
どうやったら、過去から解放されるんだろう。
やっぱり、新しい付き合いが皆無なせいですかね。
新しい人間関係があれば、昔の人たちとの不満なんて薄まっていく気がする。
実際私も、高校生のころは「なんであんなに中学時代は我慢してたんだろう」とか、思えていたし。
病気になって、大学を逃げるように卒業して。
その後の時間の経過のなかで、高校時代や大学時代に良い関係だったと思っていた子たちのことも、あまり思い出したくない相手になってしまっていました。
でも今からどこかの集まりに顔を出して、新しい人間関係を作っていくってちょっと…。
でもいつかまた、新しい人付き合いをすることに積極的になれたら良いなぁとは思います。
今はまだ、主婦業だけやって家の中で守られていたいんですけどね。
だけどいつかは、ね。
いつかは外に出てみたい。
新しい人間関係を楽しむことだけが、唯一の、過去を脱ぎ捨てる方法じゃないかと思ってます。