ネガティブ主婦の一喜一憂ブログ

基本ネガティブですが、希望をもって生きてます。いろいろと持病がありますが、最低限のお薬でそこそこの状態を保って暮らしています。動揺しやすく繊細気質な私の、病気や日々の生活の一喜一憂を綴るブログです。たまに可愛いワンコ登場☆

祖父のプライド

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祖父のことを考える

先日の心臓手術や、8月に入ってからメディアで戦争の話を耳にすることも多く、自然と最近は母方の祖父のことを考えることが多いです。

 

戦争のこと、と言うのは、身近な人で戦争に行った人が祖父だけだからです。

 

潜水艦で太平洋の方へ出ていて、「敵の戦艦を二隻撃墜したんだ」と言う話を子どものころ聞かせてもらったことがあります。

 

祖父の方から話してきたのではなく、夏休みの宿題で「おじいちゃんやおばあちゃんに戦争の話を聞かせてもらおう」みたいなやつで教えてもらいました。

祖父に話を聞くには、緊張した記憶があります。

 

実は私は、あまり祖父とは話をしたことがないのです。

 

大人になってからこそ、帰省などした際にお土産を渡したり、敬老の日の贈り物をしたり、「じゃあ帰るね~」「コロナ気を付けてね~」なんて会話をするようになりましたが、子どものころのかかわりは実はほとんどなかったのです。

 

同じ市内に住んでいて、祖父母の家の方が学校に近かったので、週に5〜6日くらいは寄って過ごしていたと言うのに。

習い事のある日はご飯も食べさせてもらっていましたが、面倒を見てくれるのは全部祖母でした。

 

子どもの相手をしない祖父でした。

抱っこしてもらったことも、実はないんです。

 

私と姉にはほとんど関わってくれなかった祖父ですが、私たちと20歳近く離れたいとこ姉妹が生まれたころは、年を取って丸くなったのかけっこう可愛がっていました。

母と叔母が「○○たちのときはあんなじゃなかったのに、頭来ちゃうや~」「不思議だよね~、やっぱり年取ったからじゃない?」なんて、いとこが小さいころ話していました。

 

祖父の仕事

戦争に行っていた話を書きましたが、「敵の戦艦を~」と言う話を聞いたときは、それが祖父の誇りのひとつなのだなと感じました。

インタビュー宿題のなかで「もちろん戦争は二度と無い方が良い」と言い切った祖父ですが、その一方で自分は国のために戦ったというプライドが見えました。

 

まだ十代だったけれど、指令を出したりする立場だったようで、それなりのエリートだったみたいです。それも誇りのようでした。

 

子どものころに祖父とほとんど話をすることが出来なかったし、母や祖母に聞いたことも無いので、実は祖父が何の仕事をしていたのかも良く知りません。

 

小学生の頃、税金の作文で表彰された子がいてその賞状を見せてもらったら、文末に書かれている責任者(?)の名前が祖父だったことがあります。

 

中学生の頃にも、国語の先生の職員室の机に祖父の名刺が置いてあったことがあります。

先生に聞くと、「作文のことでお話に見えたんだよ」と言われました。

 

なのでおそらく、税務関連の仕事をしていたのだと思います。

年齢的にも、70歳を過ぎてもいろいろやっていたみたいですね。

 

未だに正解は知りません。

 

祖父はプライドが高い

祖父母の家には、祖父に贈られた賞状や感謝状がたくさん飾ってあります。

 

10年近く前、祖父母はそれまで住んでいた家から引っ越しをしたのですが、その前の家にも賞状は所狭しと飾ってありました。

 

それがあまりにも自慢げというか、祖母や母たちは恥ずかしいと思っていまして。でも家族の話を聞き入れる祖父ではなく、いつも文句が多く祖母たちに対して偉そうにしているので、誰も「もうあんなに賞状飾るのは辞めたら?」と言えませんでした。

 

もちろん私も、そんなことを祖父に言うのは怖かったです。

叱られた記憶とかはないんですけどね。実際、叱られたことは無いと思います。それくらい、孫のことになんてノータッチ。だからこそ、怖くてそんなこと言えない。

 

そこで、「引っ越した先には全部の賞状を飾るのを辞めて、選んだ何枚かにしたらどう?」と促してくれと言う役目が父に来ました。

 

引越しの際、高いところに賞状をかけるのは父の手伝いに任されていたので、その際に軽く促すと言う作戦でした。

しかし祖父の答えは、「全部飾ってくれ」でした。

 

もうちょっと上手く言ってよ〜と祖母と母からブーイングを受けた父ですが、「年寄りの生き甲斐だから」と祖父のプライドに理解を示していました。

 

ただ不思議なのは、祖父はプライドが高い割にはドケチなんですけどね。

 

祖父母はお財布が別なんですが、昔からお年玉とかお小遣いとかは、祖母がくれる額の半額でした。

私たちが結婚した時のご祝儀も、お返しが大変だろうからと1万円を1枚、財布から出してはだかでくれました……。

 

祖母のくれたご祝儀と合わせてと言う考えで返した内祝い(カタログギフト)は、祖父がくれた分のご祝儀より高額でしたが、普通に受け取っていました。

 

と、まあ、クセのある祖父なんですが。

 

昔は、別に仲も良くないしちょっと怖いしなんて思っていましたが、今はただ元気で長生きして欲しいと思います。

 

この間の心臓の手術や、5年くらい前にも大腸癌の手術をしたのですが、そう言った健康に関する何かがあったとき。

それと、戦争について考えさせられるとき。

 

そう言った時に、今の自分がいるのは、たくさんのご先祖さまたちが大変な時代を生き抜いてくれたからなのだなと思います。

 

平穏を願う、お盆です。