母方の実家は洋品店
私の母方の家系は、代々洋品店を営んでいます。
祖母の実家は明治から続く店で、祖母自身も二十歳過ぎから自分の店をもたせてもらい、数年前に店仕舞いするまで約60年お店を切り盛りしてきました。
母は短大を出てから週に3日ほど外で勤め、それ以外の日は祖母の店を手伝っていたようです。結婚してからは、しばらくして外での仕事は辞め、主婦をしながら祖母の店を手伝っていました。
手伝うと言っても、一緒に仕入れに行くために車を出す以外はのんびりしたもので、時間も決まっておらず、祖母が家事をしたいときに店番を交代するといった程度のことでした。要は、昼間は実家に帰り休息していたわけです。
母のセンス
そんな洋服屋の血を受け継ぐ母ですが、正直ファッションのセンスが良いとは思えません。
太っているので体形をカバーするような恰好が多いのもありますが、全体的に安物で古臭いのです。無難なものをとりあえず着まわしているといった感じです。
普段着はまだそれでも良いのですが、良いところに出かけるようなときに出してくる服がとにかくダサいのです。
何十年も前に買った昔のデザインの服を平気で出してくるのです。
私は結婚式を挙げなかったのですが、両家で食事会くらいはしましょうとなったときに「これで良いでしょ」と出してきた服がもう……。
何時代?!
必死に止めて、代わりの服を一緒に買いに行きました。
私の子ども服
そんな母に育てられたので、私も子どものころあまり可愛い服は着せてもらえませんでした。幼児のころの写真を見るとそれなりに選んでくれたのかなという服を着ていますが、小学校に上がったころからのものはお古ばかりです。
姉からのものだけならまだしも、親戚中からもらったくたびれた服を着させられていました。
センスがない上に、お金をかけてくれなかったのです。
1番嫌だったのは、お店の売れ残りの婦人服を着させられていたことです。
私は小学校高学年のころからほぼ今と変わらない身長があり、サイズ的には問題ありませんでした。けれど、可愛くない、おばさんくさい婦人服を着させられ、着るもので気分が上がると言う経験をしたことがありませんでした。
今では母に対して意見を言える私ですが、当時は「親の言うことを聞きなさい」と言われ、自分の意見をあまり言えず、言っても聞き入れてもらえませんでした。
スカートを履きたかった
母の私へのイメージの押し付けのせいで、スカートは買い与えてもらえませんでした。そんな扱いをされる中で、私は女の子らしくするのが恥ずかしくなり、私からも「スカートが欲しい」とは言えませでした。
中学から制服を着るようになり、セーラー服としてスカートを履くようになったことからの流れで、中1のときにはじめてお小遣いでデニムスカートを買いました。
制服の無い学校に通っていたら、私は未だに恥ずかしくてスカートを履けなかったかもしれません。
「スカートなんて〇〇ちゃんらしくない」
母からそう言われてスカートを与えてもらえず、履かないのでスカートのイメージがないのは当然で、学校でもスカートなんて似合わない子だと扱われてきました。
ボーイッシュなおばさん的な格好をしつつ、本当はずっと可愛い服に憧れていました。
自分で服を買うようになって
中学生以降、自分で服を買うようになって、私の「服欲」は爆発しました。
そして大学に入り都会でひとり暮らしを始め、それはもう大爆発でした。
暇があればウィンドウショッピングをし、セールにつられて服をどんどん買い、クローゼットも衣装ケースもパンパンになりました。
倹約家で、高い服は買っていなかったのでお金を使いすぎてしまうことはありませんでしたが、今思えば逆に安物買いの銭失いでした。
たくさん買いたくなってしまうので、安いものしか買えない。でも安いものばかりなので、すぐに飽きてしまったり状態が悪くなってしまうものが多く、そしてそれを捨てられない。
あれは中毒と言えるレベルでした。
ほどほどになりたい
以前の記事にも書きましたが、病気になり、薬の副作用で太ってしまってからは、ショッピングが全く楽しくなくなってしまいました。
でも少しずつ痩せていく中で、またファッションを楽しめるようになってきました。
今また私は服を買いたい中毒だと思います。
しかし、決まった数しか服をもたず、新しいものを買うときは別のものを処分する派の主人の力を借り、断捨離をするようになりました。
膨大な数の服を見て、「私はこんなにもたくさんの、気分が上がらない服を抱えていたのか」と、驚きました。お出かけする日には着たいと思えない、たいして気に入っていない服の多いこと多いこと。
抑圧されていた子ども時代の反動と思える私の購買行動ですが、良い服を長く、気に入って着られるように、良く考えて買い物をしていきたいです。
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