本のあとがき
ちょっと前のことですが、主人が中学時代からのお友だちの人と会って来ました。
1年に1回くらい会って、食事をしている仲の人です。
そのお友だちHさんは、数年前に出版社に転職しました。
それで今回会ったときに、自分が担当した本が出たんだ~と言う報告をされたそうです。
2冊紹介され、片方は担当編集者だというだけらしいのですが、もう片方はHさんが企画から携わって完成した本だそうです。
その企画からの方の本が、なんと主人の仕事の分野に関わる本でした。
買うよ~と主人は約束して帰って来て、実際にその本を購入して今読んでいます。
専門分野の実用書なので、私が読んでも面白くないだろうと言われたので読む気はないのですが、あとがきのところを見せてもらいました。
そういった本って、著者の人のあとがきで出版社とかの人の名前出してお礼を書いたりするじゃないですか?
Hさんのお名前が堂々と書かれていました。
カッコいいなと思いました。
名前の遺る仕事。
まだ青臭いことを言っている
まだ「何者」にもなっておらず、いつか「何者」かになれる可能性は残っていると思って日々生きています。
病気になったという、人生における大きなマイナス。
その一連の流れに関係する人たち、つまり私を傷付けたり追い込んだりした人たち。
そんな奴らを、私の人生におけるしょーもないモブだわ!と鼻息で吹っ飛ばせるくらいになるには、やはり自分が「何者」かになる必要があると思っているのです。
大それたことじゃなく、もう少し自立した存在になりたいということです。
その副産物として、どこかに私の名前が遺ったら嬉しい。
社内の会報とか? それもひとつの名を遺すかたちですね!
一般企業で勤められるとは思えないけれど(^^;)
そんな時代もあったのだよ
思い返せば、大学時代。
名前の遺るようなことをやっていました。
大学の研究室で、発達障害児を対象とした臨床研究に取り組んでいて、論文とかも書いたりしていました。
応用行動分析学というのを用いて、臨床的に発達障害のある子たちの教育支援、生活支援に取り組んでいました。
学会に論文を出したことがあるので、もしかしたら旧姓で検索したら何か出てくるのかも知れません。
大学院に進んだ同期の子が、そちらの修士論文で私の学士論文を参考文献にしたいと言ってくれたこともあるので、もしかしたらその情報も見つかるかもしれない。
けれど今まで、自分の書いた論文について、ネット検索したことは1度も無いです。
つらい記憶とか思い出して、なんか嫌なんですよね。
多分今後も、当時の論文につい検索することは無いと思います。
未熟だったと思うし…。
でも、大切な過去の栄光だとは思っています。
私、頑張ってたもん。
ですがもっと大事なのは今後ですね。
あのまま教員になっていたら出来なかったようなことで、自分らしい活躍の場を得たいです。
今はまだ、スタート地点に立つために体調を整えている時期です。
どこに私だけのスタート地点があるのか、見つけられるようアンテナの感度を高めておきたいです。