本能からはみ出した行動
少し前に読んだ心理学と脳科学の本。
そちらに書いてあった「親切行動」と「いじわる行動」、読み終わってからしばらく経ちますが、とても印象に残っています。
最近でも自分や周りの行動を見て、そういうことなんだな〜と思い出します。
こんな内容です。
生き物は本来、自分の得になるための行動しかしません。
狩りという行動をするのは、獲物を捕まえるため、というのが基本ですね。
狩りは労働であり、わざわざ体力や技術や時間を使うこと。極端に言えば「損」なことです。
しかしうまくいけば獲物という「得」が手に入る。
損と得のバランスが取れているから、少なくとも本人にはそう思えるから、その行動をとるわけですね。
得るものがあるから行動を起こす。
それが生き物の本能です。
でも人間の行動は、それだけではないというお話。
自分に得がないのに、いろいろと行動を起こすことが多々ありますよね。
これは生き物の本能からは、はみ出した行動です。
親切といじわる
はみ出した行動として出てくるのが、「親切行動」と「いじわる行動」。
親切行動は、自分が損をすると(何かしてあげると)、他者に得が生まれるという行動。
例えば誰かが落としたものをサッと拾って、追いかけて渡してあげるとか。
自分は拾ったり追いかけたりという行動をする、極端に言うとちょっとした損をするのに、他者は大切(たぶん)なものを失くさずにすんで、とても得をする。
相手が喜んでくれて自分の心も暖かくなるから、自分の心が温かくなるという自分の得、といった感情で説明する人もいるかもしれませんが、まぁこういった行動です。
反対にいじわる行動。
これは自分がわざわざ行動を起こすことで、他者が損をすることが期待できるときに起きます。
このときの他者というのは、何も悪いことをしていない見ず知らずの人というより、自分の中の正義に反する「罰せられて当然」と思える人のことが多いようです。
たとえば、モラル違反なことをした芸能人を叩くような書き込みを拡散するとか。
書き込みや拡散という行動をわざわざ無料でするのは損なことです。
でも「罰せられるべきだ!」と思っているその芸能人も、世間から叩かれるという損を受けることになる。
自分のちょっとした行動(小さな損)が、気に入らない相手の大きな損を産む、という構造です。
両方が絡んでくる場合もありますね。
例えばいじめをしている人がいて、自分とは全く関係のない人が被害者になっている。
自分がいじめられているわけではないのだけれど、「被害者が可哀想。いじめをする奴なんて罰を受けないといけない」と教師や上司に報告する。
無料でそんなことをしてあげるのは、つまり損なこと。
でも被害者はいじめから解放される(かもしれない)という得を得て、加害者は罰せられるであろうという損を受ける。
いじわる行動の場合、あくまで自分の中の正義感が行動を起こさせたりするので、歪んだ認知のもとで起きる行動も多く(芸能人を執拗に叩くとか)、褒められた行動ではないという場合が多いみたいですね
自分の行動
自分がこんな内容をブログで書くのも、親切行動のひとつなのかもしれません。
収益があるわけでもないのに、読んでくれた人の「なるほど、面白いね」という「得」を期待して、わざわざ時間を使って文章を書くという「損」をしている。
まあブログの場合は、文章を書くのが好きという満足感や、承認欲求と言った自分の「得」も絡んでくるので、単純な「損」ではないのですが。
私はブログに悩んでいることや嫌だった出来事ももちろん書くのですが、誰かに楽しんでもらうことを想定して記事を書くこともあります。
そこにはやはり、親切行動という心理が絡んでいるのだと思います。
なんて書くと、ちょっと自惚れかもしれませんが(^^;)
極力、いじわる行動より親切行動の方をたくさんしていきたいです。
マナーを守らない人や迷惑な人にすぐイラっとしがちなタイプなので、現実はそうもいきませんが…。
反省(u_u)