大学の授業で
私は大学時代、特別支援教育について、特に発達障がいのある子どもの教育について学んでいました。今ではほとんどの知識が抜けてしまいましたが、当時は学会にも論文を提出したりと、精力的に活動していました。
結局勤めることはありませんでしたが、小学校と特別支援学校の教員免許を持っています。
大学の授業ではよく、ゲストとして講師の方を呼び、お話を聞かせていただくことがありました。
障がいのある子たちへの教育なので、講師の方はお子さんに障がいがある方や、ご自身が視覚障がいや聴覚障がいがありながら教員をされている方だったり、何かしら障がいに関わりのある方々がお話をしに来てくださいました。
自閉症の娘さんをもつお母さん
娘さんが自閉症で、障がいのことを学ぶために大学に入りなおして特別支援教育を専攻したというお母さんにお話を伺ったことがあります。
家で娘さんがお父さんに熱心に話をしているのを、そばからお母さんも聞いていたとき、お父さんへの話が終わった娘さんがお母さんの方を振り向き、もう1度同じ話を始めようとしたことがあったそうです。
「お母さんも近くにいたから、そのお話一緒に聞いてたから分かってるよ」
そのように娘さんに説明したそうです。
「障がいのない子だったら、成長の中で自然に理解できることが、うちの娘は分かりません。こういったことが分からないのかぁとか、そういう発見は毎日のようにあります。そのたびにひとつひとつ説明をしていくしかないのが大変ですね」
このような趣旨のお話をしておられたと記憶しております。
この子に障がいがなかったら
このお母さんは、最後にこう言ったお話もされていました。
「この子に障がいがなかったら……。そういったことは考えてしまいます。けれど、この子ではない障がいのない子の親になりたいとは思いません。生まれ変わっても、この子の親になりたいと思っています」
生まれ変わったら
自閉症と統合失調症は全く別物だし、親御さんと本人という点でも違いますが、一生付き合っていかないといけないものと言うところは同じなのかなと思います。
私は生まれ変わっても私になりたいだろうか。
正直YESとは言えません。
この病気を、とくに症状がひどかった地獄のような時間をもう1度経験する人生なんて、辛すぎます。今度あの状態になったら、生きることをやめてしまうかもしれません。そう思うくらいの地獄でした。
もし病気になっていなかったとしても、外見や能力、育った環境などへの不満があり、それだけでも「自分大好き!」とはならないです。
自分で思えないのなら
辛い過去を理由に、「また自分に生まれたい!」と思えないのなら。
代わりに、周囲の人に「生まれ変わってもまたこの人と出会いたい」と思ってもらえるような存在になることを目指すのはどうだろうと考えました。
私の場合は、その相手は主人です。
「またこの人と出会って結婚したい」
そんなふうに思ってもらえる相手として生きていけたらと思います。これなら頑張っていけそうな気がします。
なぜなら、これは未来の、これからのことだからです。
また自分に生まれたいか、を考えるとき、これまで生きてきた過去が幸せだったかと考えてしまいます。だから首を縦に振れません。
でも相手からまた一緒になりたいと思われる存在になる、と考えたとき、幸せな未来を作っていけばいいんだ! と考えることができます。
大切な人から、大切に思ってもらえるように。
優しい人になれるよう、心に留めて生活していかねば! と思います。
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