オーソドックス
私はこの街が嫌い 国道沿いのファミレスも
全てが何となく揃う白い箱も退屈な私にぴったり
昔同じクラスで大げさに騒ぐ声が
耳障りだったあの子は今 窓口で仏頂面な息を吐く
私はこの街が嫌い 国道沿い走りながら
赤信号も青信号も私を通してはくれない気がして
昔通ったゲーセンはキレイなコンビニになった
私の乾いた肌はどうして変わらず乾ききったままなんだろう
いきなり詩を書きましたが、これは平井堅さんの「オーソドックス」という曲の、歌い出しの歌詞です。
国道が通る地方都市に暮らす、「普通の女性」が歌われています。
自分に重ねてしまいます。
私は今は結婚して「この街」的な地元を離れましたが、大学卒業後、病気で仕事に就くこともできず地元に戻り、ただ時間をやり過ごしていたころの焦燥感が思い出され、感情が溢れそうになる歌詞です。
私にとっての「この街」の場合、「国道」ではなく「バイパス」と、頭の中で歌詞が勝手に変換されています。
曲をかけると、地元のバイパス通りの風景がありありと蘇ります。
通った高校も、バイパス沿いにありました。
車を運転できない私にとっては、自分で運転しながら感じた風景ではないのですが。
それでも、心は重なります。
むしろ、自分で運転できなかったからこそ、より閉塞感を覚えます。
同級生たち
2番のメロはこう続きます。
私はこの街が嫌い 国道沿いは曇り空
通り過ぎていく景色は中途半端で間抜けなのぼりが揺れている
昔同じクラスでわざとはしゃぐ私を見て
すぐに俯いたあの子は今 この街を出て行ったきり分からない
1番では、「大げさに驚く声が耳障りだったあの子」について、その女性は今も地元に残り、どこかの窓口で勤務しているけれど不満そうな顔をしているのだと歌われています。
そして2番では、「わざとはしゃぐ私を見てすぐに俯いたあの子」は、この街を出て行って、今はどうしているのか分からないのだと。
私はこの歌の「私」に思いを重ねて聴いていましたが、多くの同級生にとっては、私は「俯いたあの子」なのかも知れません。
私が今どこで何をしているのかを知っている同級生は、少ないと思います。
格好いい普通
「いつかいつか」と思い、「なんでなんで」と叫び、「誰か誰か」と願うこの歌の女性は、「バカみたいに格好いい普通が欲しいよ」と歌います。
「普通」って何ですかね。
凄いものですよね、「普通」。
仕事をして、結婚して、子どもを産み育て、それなりに健康で。
そんな大多数の人たちに「こんなの普通でしょ」と言われてしまったら、私はどうしたら良いのでしょうか。
「オーソドックス」に歌われるような「この街」を出て、誰も私のことを知らない場所で暮らしている今ですが、本当に私は「この街」、つまり地元が嫌いだったでしょうか。
病気になって辞退してしまいましたが、大学卒業後は地元で教員として働く内定をもらっていました。
「この街」には「バカみたいに格好いい恩師」がいて、私もそこに戻って教師の夢を実現させる予定でした。
閉塞的で、娯楽もなく、運転免許が無ければどこにも行けない街だけれど。
主人が定年退職するまで、おそらく私は関東で暮らします。
もしかしたら、数年の地方勤務があるかも知れませんが、それでも関東には戻ることになると思います。
退職したら?
分かりませんが、私の地元に一緒に帰ってくれるつもりは、主人には無いようです。
「何も無くて退屈過ぎる」と、いつも言っていますから。
主人はお父さんの仕事の都合で引っ越しや海外生活が多く、「地元」と言う場所がありません。
今、義両親は、義両親の地元である福島に戻って暮らしていますが、主人は福島で暮らしたことは無いです。本籍地こそ福島なのですが、福島は地元ではありません。
遊ぶ場所があって、便利で、適度に刺激のある今暮らす街が、私たちが人生を終える場所なのでしょうか。
終の棲家でなくても良いから、残りの人生のうちの数年間くらい、「この街」に戻って生きてみたいなとも思うのです。
引用:アルバム「あなたになりたかった」より
「オーソドックス」 作詞 ken hirai